Ojisanが哲学する

京大在学中に英語講師をしていたojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。趣味は英語で英検1級です。

ピーターティールの大学論

かの有名なティールさんは大学教育に対して非常に懐疑的なわけですが、その根拠は非常に納得できるものです。



よく「教育力」という言葉を学校や研究機関などに使います。

しかし、ティールさんによると、こんなものはまやかしだと言うのです。

ティールさんは動画の中でこんなことを言っています。

https://youtu.be/rzdiWDw4teo

「(10:00あたりで述べている事ですが)ハーバードの教育がそんなに素晴らしいのか? そんなことはない。 そもそも遺伝や才能に優れた人材が世界中から集まってくるからハーバードの卒業生が活躍してるだけで、別にハーバードの教育が特段素晴らしいわけではない。そんなにハーバードの教育が素晴らしいなら、ハーバードは定員を10倍にしたらいい。きっと優秀な人材が10倍社会に出ることになるから。・・・って、そんなわけないでしょ? 元から才能がある人間を取ってるから結果が出てるだけなんだから。」(私の翻訳)

これは日本にも同じことが当てはまります。

灘高や開成高あたりは東京大学や医学部に多くの生徒を合格させていますが、それはただ単に中学受験や高校受験で「一番できるレイヤー」の生徒をごっそりといただいてるから。

そして優秀な人材同士が切磋琢磨してお互い高みを目指してるから結果が出てるだけ。

これが真実でしょう。

同じように、東京大学京都大学あたりの卒業生が社会で活躍してるのも、ただ単に優秀な人材がそこに集まってるからというだけです。

 

東京大学の卒業生が政治家や官僚として活躍したり、上場企業の役員に就任しているのも、京都大学の卒業生が自然科学系のノーベル賞ラスカー賞で圧倒的にぶっちぎっているのも、別に東大や京大の教育力が素晴らしいからではありません。

 

東大や京大では明治大学同志社大学では行っていないような「虎の巻」的な素晴らしい教育をしてるのかと言えば、そんなはずはないのです。

 

ただ日本で最も優秀な学生が東京大学に集まり、そこで切磋琢磨し高みを目指しているから、東京大学の学生が社会で活躍してるわけで、因果関係を混同してはいけません。

場所と学生の質がそのままで、東京大学の教授を早稲田や立教あたりの教授にしたところで、最先端の研究をするような学生以外の学生にとってはほとんど将来のキャリア等に影響はないでしょう。

実際、昔から東大法学部の学生は司法試験や官僚登用試験の勉強などは予備校でやっていましたし(最近制度が変わったのでちょっと今は当てはまらないかもしれませんが)、おそらく東大の価値の9割は入試による選抜機能とそれに付随するハイクオリティーな仲間との切磋琢磨にあり、「教育」そのものの価値などはせいぜい5%くらいでしょう。

ティールさんの言う通り、「教育力」などというのは幻想であり、実際は「すでに激しい選抜を経た能力のある人がプレステージのある組織にたまたまいる」というだけです。

比較的自分が学歴がない親は、子供に学歴だけは身につけさせたいと躍起になってしますが、これもひょっとしたら因果関係の混同が起きているかもしれません。

そもそも知能指数なり知的能力が高いから勉強ができて学歴が自然と身につくだけで、能力が低い子供に無理して学歴を身につけさせようと苦心しても、努力の方向性が間違ってると言わざるを得ません。

これは不都合な真実かもしれませんが、教育を考える上では避けては通れないお話でしょうね。




生まれつきの格差は悪か?

よく所得の再分配などの議論で「生まれたときの格差がそのまま経済格差とつながるのはいかがなものか」という主張が出てきます。

たしかに、私も生まれの経済格差がそのまま教育格差につながり、最終的にはとてつもない経済的な格差が生まれることを「直感的には」あまりいいと思いません。

しかし、冷静に考えてみると、人生は選べないことだらけです。

生まれてくる時代も選べない

生まれてくる国も選べない

親も選べない

身長や顔だって基本的には生まれた瞬間に決まっている

よくよく考えてみると、人生なんてほぼ選べないことだらけです。

私は大谷翔平みたいの球を投げようと思っても投げられませんし、明石家さんまのように面白く話そうと思っても面白く話せませんが、これはどれだけ努力をしても叶わぬ願いでしょう。

そのように考えると、生まれたときの格差がそのまま経済格差につながる事がそこまで問題かというとそうでもない気がしてしまいます。

私は、現代人が生きにくい理由の一つは、

「選べるはずなのに何も選べない」というなんとも中途半端な選択の自由を持ってる

ところだと思っています。

われわれは鳥のように空を飛べないことに何も不自由を感じません。

やはり絶対的にできない&選べないものに対しては何も悪い感情を抱かないのです。

結局、六本木ヒルズの最上階に住んでるIT社長や女子アナが嫉妬されるのも、「自分だってひょっとしたら選択できたかもしれない」という惜しい気持ちを万人に抱かせるからでしょう。

近代以降の「選択の自由」が一定程度人を幸せにしましたが、やはり選択の自由があることにより不幸になってる人も本当にたくさんいると私は思います。

江戸時代の農民は、武士に対してうらやましいとか嫉妬する事はなかったでしょう。

 

それは、農民が武士になる可能性は、我々が鳥になり空を飛べる可能性と同じようにゼロだからです。

生まれているときにある程度すべて決まっていることが当たり前の社会の方が、ある意味幸せなこともたくさんあるのです。



語学の費用対効果

最近、外国のYouTube動画をよく見ていますが、単純にできたほうがいいかできないほうがいいかという意味で言ったら、英語ができたほうがいいですし、本当に世界が広がります。

とは言え、もし全然英語を勉強してこなかった成人の方に外国の映画や動画が見れるようになるために、「英語を勉強したほうがいいか」どうかアドバイスをするとしたら、絶対に「やめといたほうがいいですよ」と私なら言うでしょう。

よほど特殊な人を除いて、「英語で情報を得る」などというのは人生の目的ではなく手段です。

別に日本語でも有益な情報はたくさんありますし、翻訳の本だってたくさんあります。

それでもなお原書で本を読んだり、動画を聞いたりするメリットがあるか、と言われたら、かなり疑問符がつきます。

少なくとも5000時間かけて投資する価値があるものではありません。(英語がそれなりにものになるのには5000時間はかかります)

ただし、皆さんがもし子育てをしてるのであれば英語は絶対にやらせたほうがいいです。

子供に関してはやはりメリットがデメリットを上回ります。

確かに国語力を犠牲にしてまで英語をやる必要はないですが、小さい時からコツコツと英語を勉強すれば自然と5,000時間位は英語に触れていることになりますし(小学校1年生から毎日1時間で12年だと、約5000時間になります)、単純に人生で英語を使える時間が長いわけですから、子供に関してはコストパフォーマンスを考えてもなお英語に関しては勉強したほうがいいと思います。

日本で教育を受ける場合、普通は大学受験をさせることになりますが、この時に英語できると非常に有利です。

極端な話、早稲田や慶応の文系は英語がめちゃくちゃできたらほぼ受かります。

得点の半分位が英語だったりすることもよくありますから。(慶応法、慶応総合政策など)

また、英語は所詮言葉ですから、数学のような向き不向きが比較的ありません。

子供の場合は、まず日本の大学受験で死ぬほど有利だという点と、残りの人生で英語を使って様々な情報を入手したり外国人とコミニケーションが取れるという点で、英語に力を入れた方が良いでしょう。

私は語学に関して、基本的には両極端の考えを持っていまして、中途半端にできても本当に意味がないと思ってます。

英検2級とかtoeic700くらいなら、実用レベルでは全く使い物にならないので、あまり意味があると思いません。

めちゃくちゃ勉強するかほぼ勉強しないかのどちらかで充分だと思っています。

そして、例えばイチゴ農園をやる方や地方で美容師をやるような方が中学や高校で英語を勉強するのは本当に無駄で、だったらその時間は簿記や政治経済でもやればいいのにと思ってしまいます。

逆に本気でやるのであれば、小学生位からガンガンやらないとダメです。

私の半生の反省です、これは。

 

親を恨むわけにはいかないですから仕方ない話ですが、私は、中学校1年生から普通に英語を勉強して、大学受験で偏差値75とかそれぐらいのレベルでは得意でしたけど、そこからネイティブとあまり問題がないというレベルでコミニケーションを取ったり生の動画を見たりするのに8年近くかかってるわけですから、そもそものスタートに問題があるわけです。

また、私は中高と極めて一般的な日本の英語教育を受けているので、どうしても音声面がずっと課題でしたから、これから子供に英語を教育する方はとにかく

文字ではなく耳から英語を覚えるように教育されることをお勧めします。

当たり前ですが、どんな言葉であっても、小さな子供はまずは母親の言葉を真似て耳から言葉をマスターします。

ですから、リスニング→スピーキング→読む書くの流れが自然なわけです。

(日本の学校教育の英語は順番が逆です。)

繰り返しますが、英語はちょっとできる位では全く意味はないですけど、

日本語の思考力がそれなりにある前提でネイティブ一歩手前レベルで英語が使いこなせたらかなり人生においてアドバンテージになる事は絶対的に保証できる

と思います。

やるかやらないか、ですね。


やたらと日本の危機を煽る人

「『日本がスゲー』なんて言ってるようじゃやばいよ」
「中国やインドに比べたら日本なんてめちゃくちゃ発展スピードやばいよ」
「日本なんて20年ぐらいほとんど成長してないんだから」
etc

こういった「日本悲観論」を発信して悦に入るバカというのは一定数いますが、ちょっとバランス感覚が悪いです。

別にこういうことをおっしゃる方の言ってることが激しく間違ってるというわけではありません。

ただ、私が逆に聞いてみたいのは、「地理的歴史的に今の日本より問題がない桃源郷っていつどこに存在したんでしょうか?」という問です。

アテネローマ帝国光武帝の時代の中国、徳川時代の日本etc

古今東西を問わず、「問題のない社会」など存在したことは一度もないわけです。

別に今の日本が超特別ヤバイという事はありえません。

だいたい人は自分が生きてる時代と国しか経験できないわけですから、何を根拠に「今の日本が諸外国と比べてめちゃくちゃやばい」と断言できるのでしょうか?

GDPや成長率だけを持ち出して新興国と比べて日本がヤバイなんて当たり前じゃないですか?

逆に中国やインドも今のスピードで永遠に発展するはずがありませんし、そんなペースで発展したら地球環境に大きな影響があります。

というか、私よく言いますけど、そもそも宇宙の歴史の中で生物が存在していること自体が奇跡なわけ。

物質が本当に「たまたま」集まり何とかわれわれは生物として生きてるわけですが、宇宙の歴史から見て、一瞬でも水やタンパク質といったものが超絶妙にくっつき、「意識」が生まれ、なぜかわれわれは「生きている」という感覚を持てるわけです。

当たり前のようで、太陽系・宇宙といったレベルで考えたときに、これはミラクルであり奇跡です。

こんなレベルで考え始めると、そもそもいつ地球に隕石が落ちてくるか分かりませんし、地球の自転速度もだいぶ遅くなっているというのは有名な話です。

中国やインドに比べて日本がヤバいって?

大丈夫。

自然世界において貨幣とかなんの意味もありませんし、だいたい皆さん心配しすぎですよ。

保証します。

死ぬ事はないですから、日本にいたら。

健康に生きていたら、いくらでも楽しいことはありますよ。

これだけインターネットで無料のレジャーがいくらでもあるわけですから。

私は別にお金があるから将来が安心なんじゃなくて、自分のメンタルに圧倒的な自信があるから将来が安心なんです。

いや、厳密には、台風とか津波とか隕石とか「自然界」のレベルでのディザスターには対応できませんが、「人間界」が少々やばくなろうが絶対に生きることはできると思ってますし、生きていれば何とかなると思ってますから。

人間界なんて所詮我々と同じ人間が何かやってるわけですよ。

どうにかなるに決まってるでしょう、五体満足で健康で頭が普通に動くなら。

仙人思考について

私の投稿をフォローしていただいてる奇特な方ならご存知の通り、よくも悪くも私は達観したところから仙人のように
「やれやれ。人間界はこんな感じになってるのう」
と人間社会を分析しています。

これは偉そうにそうしてると言うより、
一度仙人目線になることにより、人間社会や俗世間を相対化、つまり引いたところから眺めて、日々の欲求不満や苛立ちを抑えたい
からです。

これまでも何度か述べてきたことですが、私は、自分の気持ちをコントロールするために、まず徹底的に視野を広げる事を心がけています。

まずは視野を広げるために宇宙の誕生から世界は始まります。

150億年前です。

(ビックバンの詳細に立ち入るほど私は自然科学の知識がないので詳細は省きます。)

次に地球の誕生。

46億年前です。

その次に生物の誕生です。

30億年前。

ここから単細胞生物、多細胞生物といった形で生物が進化していきます。

そこからどうやらホモサピエンスという我々の直接の祖先が枝分かれしてらしいです。

これがおよそ3万年前です。

そして、旧石器時代新石器時代といった時代を経て、ソクラテス始皇帝といった「歴史」の世界が始まります。

およそ3000年前です。

ここまでざっくりと宇宙や地球、生物の歴史を概観してきましたが(概観にもなってないですね、紹介です)、お分かりの通り、人間(ホモサピエンス)の歴史なんて本当に小さいですよね。

また、太陽系の大きさを考えたときに、地球とかいわんや日本とか本当に小さいですよね。

こんなに小さなところで何が起きようが、偉くなろうが、たいした「意味」なんてないですよ?

ただ、「意味」があるとすれば、家族と過ごして楽しいとか、趣味が楽しいとか本当に主観的なものだけです。

太陽系とかそのレベルで話を考え始めると、我々の存在自体がものすごく小さくなり、あらゆる欲求不満や苛立ちが遠のきます。

そこまで極端じゃなくても、海に行くと「こんなに海って広いんだね! 日々のくだらない悩みなんてどうでもよくなってくる」なんて中二病みたいなこと言ってる人今まで見たことありますよね?笑

「今の日本」や下手したら「今の私がいる会社」という規模でほとんどの人はものを考えてると思いますが、本当に視野を広げて、地理や歴史、地球、太陽系というレベルでものを考えると、本当に日常の雑事がどうでもよくなってきます。

もちろん完全には不可能でも、頭の中で仙人思考になることにより、日々のくだらないことがほんとにどうでもよくなります。

仙人から見たら港区も足立区もないし。
仙人から見たら美人もブスもないし。
仙人から見たらビルゲイツも私も「同じ人間」です。

仙人思考は人間社会を完全に相対化してくれます。

ただし、このような思考を身に付けることは非常にリスキーでもあります。

サンデル先生が、「哲学をすることはリスキーだ。なぜなら、もう普通の世界には戻って来れないからだ」とハーバード白熱教室でおっしゃっていましたが、私も哲学や思想の世界につかることによって本当に娑婆に戻って来れなくなってしまったので、この感覚はよくわかります。

また、あまりに達観したところから、世の中を眺めていると、よくも悪くもニヒリズムにつながります。

宇宙とか生物の歴史とかそのレベルで考えていくと、我々のあらゆる営みがゴミのように思えてくる

からです。

私は小学生位から「どうせ死んでしまう」と考えてきてますが、やはりここまで暗いことを常に考えていると、何をするにしてもニヒリズムにどっぷりとつかります。

サッカーの試合に勝っても、
「あーよかった! (ま、どうせ死んじゃうけどな)」
好きだった女の子と付き合えても、
「あの子と付き合えてよかった!(ま、どうせ100年後には僕もあの子も死んでるんだけど)」
とどこかで悲しげな自分が俗世間に埋没しようとしてる自分に常にブレーキをかけてきます。

タワーマンションの高層階からワインを飲みながら東京の俗世間を眺めて、普通だったら嬉しい気分でしょうけど、私の場合は「ああ、いい気分だなぁ。(でも、まぁくだらないっちゃあくだらないよね。宇宙や生物のレベルで考えたら)」と「もう一人の自分」が歯止めをかけてきます。

仙人思考は俗世間のマウンティングやカーストを相対化かつ浄化する機能もありますが、やはりどこかで達観しすぎることによるニヒリズムが出てきてしまいます。

仙人思考はいいことばかりでもないなぁと本当に思いますが、でもとりあえずちょっと身に付けてみて悪いものでもないなとも思います。(って結局どっちつかずな結論ですけど、、)






人生ほとんどのことはできない

人間の幸福感について何度か論じてきましたが、人間とは不思議なもので、全く手が届かないことよりも、届きそうで届かないものが手に入らない方が不幸なものです。

東京にいると、「お金があったら幸せになれる」と考えてる人は非常に多いですが、「お金があったらできること」と「お金があってもできないこと」を自然界のレベルで考えてみたら、圧倒的に後者の方が多いものです。

たとえ私が1兆円持っていても・・・

私は男性ですから子供が産めません。
火星にも行けません。
今東京にいますから、ニューヨークに30分後に到着することもできません。
水中に1時間潜ってることもできません。
鳥のように空を飛ぶことができません。
1日18食くらい食べたいんですがそこまで食べられません。
175km/hの球を投げたいですが投げられませんし、地球上でなれる人は1人もいません。
100mを8秒で走ることもできませんし、ボルトでも無理です。

できないことだらけです。

およそ自然界において、人間がお金でできることなどたかが知れています。

むしろ
ほとんどのことができない
と思ったほうがいいでしょう。

それでも我々はお金があれば幸せになれると信じていますが、それは結局「お金があったら」という仮定はなんとなくリアリティーがあるのでしょう。

今日たまたま東京カレンダーで発見したコラムが面白かったのですが



私は子供を産むことができませんが、それはどうイマジネーションを働かしても無理だからこそ欲求不満がないわけです。

「なんで俺は子供が産めないんだああ。ウォーン(涙)」とはなりません。

しかし、隣のなんてことない小娘の実家が金持ちで豊かな生活をしていて、それに対して自分の実家が貧乏だとすると、これはイマジネーションを働かせると、「なんであの子にできて私にできないんだろう」となります。

欲求不満や嫉妬の根源はそこにあります。

「自分との交換可能性」なんですよね。

私はビルゲイツイチロー選手に嫉妬したりしませんが、それは「自分との交換可能性」がゼロだからでしょう。

ただ、ミッドタウンの最上階でいきがっている社長とかを見ていると、ヒシヒシとライバル心が湧いてきますが、これも結局「自分との交換可能性」があるからです。

人間は「自分との交換可能性」を基準に他人に嫉妬したりコンプレックスを持ったりします。

こういった嫉妬心やコンプレックスが感情的に湧いてくるのは仕方ありません。

しかし、発想を変えてみたら気が楽になるのではないでしょうか。

自分の短い一生で「できないこと」なんて「できること」の何千倍もあるわけです。

それはどれだけ億万長者でも「すごい人」でも変わりません。

イチロービルゲイツほど稼げませんし、アインシュタインもマイケルジョーダンのようにプレイできません。

 

イチロービルゲイツも容姿ならトムクルーズ福山雅治に勝てませんし、医者や弁護士に医療の知識や法学の知識で勝てません。

何かが「できる」といっても、世の中の森羅万象の中では本当に「一部」のことです。

ただ、その「一部」が金儲けだったりスポーツだったり勉強だったり、社会が評価するものだと本人も勘違いをしますし社会も過大評価します。

しかし、元からそもそも人生全体の「一部」でしかないわけですから、過大評価は禁物です。

世の中のほとんどのことはできない中で、たまたまできそうでできないからこそ嫉妬心やコンプレックスが湧いてくるだけで、冷静に考えてみたら、元から人生なんて手に入らないものだらけですし、自分が勝てない人間だらけです。

そのように発想を転換して腹をくくってしまえば、およそあらゆる嫉妬心や劣等感がちょっと湧いてきてもすぐになくなっていくでしょう。

少なくとも私はそのようにメンタルを調整しておりますし、こう考えることによってかなり気が楽になります。




英語を読む力と聴く力の大切さ

何度か話してると思いますが、私は結構語学ヲタで、平均的な日本人よりはかなり英語ができると思います。

TOEFLibt 110弱、英検一級

ですから、ネイティブレベルとは言えませんが、日本人としては読み書きと会話の能力は卓越しているでしょう。

外国語に関して、なぜか「話せるようになりたい」と考えてる人が多いようです。

しかし、冷静に考えてみたらわかりますが、まずは読んだり聴いたりすることができないと、会話なんてできるわけがありません。

よく、「読み書き」と「会話」と4技能を対比的に考える人が多いですが、むしろ私は

「読む」と「聴く」がセットで、「書く」と「話す」がセット

だと考えております。

なぜならば、前者はインプット、後者はアウトプットと定義できると思いますが、

インプットなしにアウトプットは絶対にできない

からです。

TOEICで800点もいかない方は、悪い事は言わないですから、絶対に英会話学校に行ったり留学なんてしない方がいいです。

繰り返しますけども、ある程度の単語や文法の知識が頭に入っているからこそそれが口から出てくるわけで、何もインプットがないままアウトプットなんてできるはずがありません。

世の中にここまで英会話学校やオンラインの英会話が流行っているところを見ると、ほとんどの日本人英語学習者はファッションで英語をやってるとしか思えません。

たしかに英語が口から流暢に出てくるのはかっこいいですけど、英語が読めてるとか聞けてるという状態は他人にはわかりにくいですからね。

そして単語や文法を地道に理解したり覚えたりするのは辛いですけれども、「英会話」はなんとなく楽しそうですから。

やはり、ほとんどの人は辛い事はやらずになんとかかっこつけたいと思ってるんでしょう。

しかし、世の中そんなうまい話はないわけです。

また、本当のそもそも論として、スピーキング能力よりもリーディングやリスニングの能力が大切じゃないのかと言えば、そんなこともないと思います。

「日本で英語を使う」という観点で考えたときに、一番使う力が英語を読む力ではないでしょうか?

次に書く力と聴く力で、実は一番使わないのが話す力だと思います。

また、これは一定の閾値を超えていたらの話ですが、実はスピーキングというのは、一番ごまかしが利く能力なのです。

スピーチ等は別として、対面の会話であれば、スピーキングは自分の土俵で勝負ができます。

要は、簡単な単語を使ってある程度たどたどしくても、意思の疎通ができます。

しかし、リスニングはこの自由とごまかしが不可能になります。

なぜならば、リスニングはすべて相手の土俵で話されるからです。

もちろん対面のコミニケーションであればある程度繰り返してもらったりできますが、ネイティブ3人と自分1人といったシチュエーションで、ネイティブが本気で話すと、必死にについていくほかありません。

しかし繰り返しますが、スピーキングに関しては、通じる範囲であれば相手も理解してくれようとしますからまず問題ありません。

まとめというか繰り返しになりますが。

日本人はスピーキングの話が大好きですが、まずは読む力と聞く力に集中したほうがいいでしょう。

理由は二つの意味で。

上に書きましたけど、まずある程度読んだり聞いたりできないと話せないという話。

それから、スピーキングはある程度ごまかしがきくけれども、リーディングやリスニング、特にリスニングは「相手の土俵」ですから、わからないとほんとにどうしょうもない点ですね。

ですから、英語が話せない事はそこまで大きな問題ではなくて、やはりまずは英語を読む力と聞く力に集中した方が良いでしょう。