Ojisanが哲学する

哲学大好きなojisanが偉そうに人間や社会を語ります

「優性」という世紀の誤訳

私が何度か申し上げている事ですが、

そもそも自然界に「優れている」、「劣っている」という発想はございません。

たとえば「背が高い方がいい」、「ぺ二スが大きい方がいい」、「目が大きい方がいい」というのは「人間界」の決め事であり、そもそも自然界に「よい、わるい」という価値判断はありません。

「質量が大きい」、「mol数が多い」という判断はあっても、「それがいい(わるい)」という価値判断は自然科学には存在しません。

よく遺伝の話で「優性」という言葉が出てきますが、あれほどミスリーディングな誤訳もないでしょう。

「優性」はdominantの訳語ですが、dominantに「優れている」という意味はないのです。

ただ、「特徴がある」という程度の意味合いしかありません。

「優性」がなぜ誤訳なのかといえば、本来自然界に「価値判断」などないわけですが、「優性」の「優」が「優れている」の一部なだけに非常に誤解を誘いやすいと思うからです。

荘子も「カラスから見たら、美人とブスの違い、
貴族と農民の違いなどない」とおっしゃっていますが、まさにその通り。

「背が高いほうがいい」、「目が大きい方がいい」という価値判断は自然界に内在しているわけではなく、あくまで人間が決めているだけです。

こういうことを言うと「でも結局われわれは人間界で生きてるんだからそんなこと言っても荒唐無稽だ、現実的ではない」と反応する人もいるかもしれません。

私もそんなことはわかっています。

しかし、大切なのは「マインドセット」なのです。

もし人間界の基準で敗れて人生に絶望していたとしても、「この世の終り」と思うか「ま、所詮人間界の話だよな」と価値を相対化できるかどうか。

そのためのよすがとしてこういった考え方を用いると良いと思うのです。

繰り返します。

「金を持ってるからえらい」、「顔が可愛い女の子が価値がある」、「ベンツに乗ってるからかっこいい」、「港区に住んでるからかっこいい」etc

こういった基準は所詮人間界のお話であり、猫や犬から見たら人間は人間であり、そこに優劣などありません。

このように考えることにより、俗世間のくだらない相対的な序列から一定程度自由になれるでしょう。