Ojisanが哲学する

京大在学中に英語講師をしていたojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。趣味は英語で英検1級です。

「自分を持てよ」という途方もなく浅い意見



昨日引用した動画ですが。

よく「他人の意見に左右されるな」、「あいつは自分の価値観がない」と物知り顔で語りたがる人がいますが、残念ながら、こういう人は哲学や思想といった世界にこれまで無縁であった人なんでしょう。

なぜならば、

我々の価値判断や様々な選択のほとんどが、社会の価値観や身近な他者に影響されていますし、他者からの承認を求めてなされているから

です。

人間は自分が思っているほど自由ではありません。

例えば私は小中高とサッカーをやっていましたが、なぜ私はサッカーを選んだのか?

ハンドボールラクロス、バレーボールなど他のスポーツも数ヶ月にわたって吟味し、自分の身体能力や適性を全て勘案した上で、「うん、やっぱりサッカーが一番自分に適したスポーツだ」などと結論づけて「意思決定」したのでしょうか?

そんなはずはありません。

あくまで、私の世代ではある程度身体能力が高い子供はバスケットやサッカー、野球をやるのが「自然な流れ」だったというだけで、ハンドボールの宮崎選手がかつての三浦知良選手のような存在で、ハンドボールが人気ナンバーワンスポーツであれば、何も考えずにハンドボールをやっていたでしょう。

それ以外にも、様々な選択は全て「他者からの影響」で決定されています。

フランス語でもドイツ語でも中国語でもなく、なぜ英語を勉強したのか?

足立区でも中野区でもなくなぜ代官山や港区を選択したのか?

東洋思想ではなくなぜ西洋哲学に興味を持ったのか?

これらは全て「社会の影響」としか説明できません。

ゼロから考えて意思決定に至ったとは到底思えません。

他者から切り離された「わたし」などそもそも存在しないのです。

ですから、

「他人に影響されない自分」や「本当に自分がやりたいこと」などはそもそも存在しない

と思った方が良いでしょう。

それらが仮にあるとすれば、「センター街を歩いてる女子高生」よりは「ちゃんと勉強してお医者さんになった鈴木さん」や「将来を見据えて中高生の時から努力してプロスポーツ選手になった田中君」の方が「相対的に自分を持っている」というだけです。

その鈴木さんや田中さんですら(架空の人物ですが)、スポーツ選手や医者が社会で評価されているからこそそういった職業についたわけで、「他者から影響を受けない自分の意思決定」などそもそも存在しません。

そんなものがあると思っている人は「二重の意味で浅い」と思っています。

まず、私がこれまで述べたようなことがわかっていないという意味で。

そして、「確固たる『自分』を持っていることが素晴らしい」という考え方そのものが、幼少期より日本社会で植え付けられたドグマであるということに気づいてないという意味で。

不思議なことに、日本の学校教育は、規律や自己抑制を美徳として子供に強制する一方で、読書感想文の執筆や学芸会といった独特の場面では、「他者とは違った自分」やそういった自分を持ってることが素晴らしいという価値観を子供に植え付けます。

面白いことに、「他人とは違う自分の意見を持っていることが素晴らしい」というドグマが、実は「他人からの影響」を多分に受けているという大いなる矛盾をはらんでいるのです。笑

「自分らしく自由に生きる」というのは、極めて西欧近代的な発想でしょう。

おそらく江戸時代の日本人に「自分らしく生きる」、「自由に生きる」などという発想はそもそも全く存在しなかったでしょうし、士農工商といった身分制度も当時の人間から見ると自明すぎるが故に「不自由」であるという自己認識はなかったと思います。

農民として生まれ、健康に毎日食べられて、家族と笑って暮らせたら、「主観的には幸せ」だったのではないでしょうか。

それを我々の目線から見て不自由だと感じるのは、我々が「近代的な自由(らしきもの)」を知ってしまっているからで、それを知らなければ意外と人間は幸せなのです。

Ignorance is a bliss.

知らない事はある意味幸福です。

我々は鳥にも魚にもなれませんが、そのことに何の不自由感も感じません。

それは、鳥になった状態を知らないからです。

一度眼鏡をかけてしまった世界を知ってしまったら、眼鏡がない世界が不自由なように、一度鳥の状態を知ってしまったら、我々の地上での生活は重力を過剰なまでに意識する「不自由な状態」になる事は間違いありません。

同じように、江戸時代の人間に、「自分らしく生きられないことによる不自由感」もおそらくなかったでしょう。

「自分を持てよ」という考え方自体が一つのドグマである。

これはいくら強調しても強調しすぎる事はないでしょう。

我々は、自由意志も「他人に影響されない自分だけの価値観」も持っていないのですから。