Ojisanが哲学する

哲学大好きなojisanが偉そうに人間や社会を語ります

思考停止は悪いことか?

よく書籍やコラムなどで「それは思考停止である」という意見を見かけます。

実際私も「それはドグマである」、「それは思考停止である」といった言い方をします。

ここには「隠されている前提」があり、「考えないことや先入観に囚われている事は悪い」という前提です。

皆さんも「それは思考停止的な意見だね」と言われたら何か論破された気になるでしょう。

しかし、私から言わせると、「思考停止」それ自体は何も悪いことではありません。

ただ、思考停止していると困ることがあるからまずいだけで、「考えること」それ自体にアプリオリな価値があるわけではありません。

私は昔からちょっとひねくれていて、人と感性がずれていましたから、「あいつらは思考停止しているが、俺はよく自分の頭で考えている(∴だから自分はすばらしい人間だ)」と考えていましたが、これも結局(先程の投稿じゃありませんけど)「合理化」です。

自分を肯定したいからそのように考えている(考えたい)だけで、冷静に立ち止まって見ると、別に考えること自体にことさら価値があるわけではありません。

「生物としての人間」という観点から考えてみると、所詮我々ホモサピエンスの脳が肥大化しているのも「それが生存や遺伝子の伝達に必要だから」というシンプルな理由ゆえであり、別にそこに大した意味はありません。

例えばコウモリが夜でもよく目が見えたり、魚にエラが発達していたり、恐竜の爪が発達しているように、我々ホモサピエンスの脳が肥大化しているのも、所詮「生存のための手段」でしかありません。

ですから、別に社会常識を疑うことなく信じたり、あらゆる前提を疑って考えることそれ自体に意味があるわけではありません。

私(に限らず、ある程度世の中の前提を疑うような思考が得意な人)がそのようなことが得意だから自己肯定バイアス(「自分は価値ある人間だと思いたい」というバイアス)のために、「それはドグマだ」と言いたいだけで、所詮それもマウンティングでしかありません。

「頭がいい」ことが普遍的に価値があることかのように我々は思いがちですが、頭が良かったり考えられたりすること自体は、生物レベルで考えると、孔雀の羽が美しかったり、ライオンが速かったり、鳥が空を飛べるのと大して差はありません。

「思考停止」しても何の問題もなく生き、遺伝子の伝達ができるのであれば、思考停止を非難する必要などないでしょう。

「それは思考停止だね」という発言自体が壮大な思考停止である

という事実について我々は認識するべきでしょう。