Ojisanが哲学する

京大在学中に英語講師をしていたojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。趣味は英語で英検1級です。

貨幣は共同幻想である

私はこのブログでも何度も申し上げていますが、お金というのは、それ自体は紙であり、AgなりAlです。

自然界においてはそういう価値しかありません。

「ただの紙」、「ただのAg」。

ただ皆さんがそれに価値を感じているのは、「お金に価値がある」とみんなが信じているからです。

「自分のお金はきっと何かと交換できる」と信じているからこそ、みなさんお金のために働くのです。

まさか、「インクが染み込んだ紙」が欲しくてみなさん仕事をするわけではないでしょうから。

高校の政治経済の教科書にも書いてありますが、そもそも銀行はすべての預金者にお金を払い戻せと言われても払い戻すことができないですからね。

これを初めて聞いたときに、私はなんて恐ろしいんだ、と思いました。

簡略化して言うと、a,b,c,d,eの5人がハイアット銀行に2000万円づつ(計1億円)あずけたとして。

aさん達5人が「2000万円返して〜」と同時に銀行に行っても、既にその資金は貸し出されているので、1億円分返すことはできないのです。

それでも現実の社会が混乱しないのは、「まさかみんな同時にお金をおろす事はないだろう」とaさんやcさんが信じており、銀行も「まさかみんなが同時に返せ、と言ってくる事はないだろう」と信じているからです。

「信じている」というきわめてシンプルな感情以外に貨幣を正当化する根拠はないのです。

むしろ平安時代あたりでは「お金を使え」とお上が指示をしてもお金を使わない時期すらあったのですから。

しかし、個人レベルで考えてみたらおかしくないですか?

「どうせすぐに『返せ』と言ってこないからしばらく他人に貸す」なんて個人レベルでやられたらブチ切れますよね。笑

しかも預金には期限があるわけじゃないですから、明日全員が同時にやってこない保証などどこにもないのです。

そのように考えると、貨幣経済というのは、ただみんなが未来を信じているから成り立っているとも言えます。

なんか不思議ですね。

だからこそ、お金すら100%信用せずに生きていくことが大切です。

ではどうやって?という話はまた次の投稿で。