Ojisanが哲学する

京大在学中に英語講師をしていたojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。趣味は英語で英検1級です。

好きなことをする

先程の続きですが。

結局人間はどこまでいっても幸福な状態に慣れてしまいます。

また、どれだけ上のステージに行ってもその上のステージでまた戦わなければならないので、相対的な幸福感がどんどん上がっていく事はあり得ません。

そのように考えた時に、われわれはどのように生きれば幸せになるのでしょうか?

私の見解は非常にシンプルなのですが、自分なりに決めた「最低限のお金」は稼いだ上で、

できる範囲で好きなことをする

というのが最も幸福感を持続させるコツのような気がします。

家や車、子供の学校等、「一般的な意味」でどれだけ生活水準を上げても、所詮慣れてしまいますが、好きな事はいくらやっても飽きる事はありません。

逆に言えば慣れたり飽きてしまう事は、そこまで好きなことではないのです。

私は本を読んだり、文章を書いたりすることが、三度の食事より好きですから、本を読みすぎて飽きてしまうとか、はありません。

サッカーを見たりやったりしても、疲れる事はあっても飽きる事はありません。

しかし、やはり、高級なレストランで食事をしたり、タワマンからの夜景を見たりするのは飽きてしまいました。

ですから一般的な意味での生活水準を上げても幸福度の上昇には限界があります。

一般的な意味での生活水準を上げることによる幸福度の上昇は、一次関数的ではなく対数的なのです。

ちなみに、「好きなこと」というと、では「好きなことを仕事にすればいいのか?」と疑問を持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、私は

別に好きなことを必ずしも仕事にしなくてもいい

と思っています。

そりゃ、サッカー選手や芸能人、シンガーになれたりする特別な才能を持ってる人は、好きなことを仕事にするべきかもしれませんが、私を始めほとんどの「普通の人」はやはりそんな簡単に好きなことを仕事にはできません。

ですから、私は

「仕事の楽しさ」等は相対的なもので十分

だと思っています。

ドブ掃除やコンビニの店員をやるよりは今の仕事のほうがいいな、とかですね。

そして余暇の時間に好きなことをやれば十分ではないでしょうか?

最終的に人生の価値は、

どれだけ好きなことをやれたか
人に愛されたり感謝されたりしたか
家族と有意義な時間を過ごせたか

こんなところで決まるのではないかと思っています。

ですから、前の投稿にあるような「相対評価のマウンティング」で勝つことによる幸福などは、あくまでおまけみたいなもんだと思った方がいいです。(そういったくだらない序列を全く無視したほうがいいかのように書いてあるビジネス書や自己啓発本がありますが、それは人間の本性を全く無視しているので「浅い」と思います。俗世間の序列で勝つこともそれなりに楽しいものですから。車や家、行きつけの店のような一般的なマウンティングは「人生のおまけ」だと考えるのが一番です。)

私は以上のように考えています。