Ojisanが哲学する

京大在学中に英語講師をしていたojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。趣味は英語で英検1級です。

自分の感情を整理する

私が東京でさまよっている人たちと接しているといつも思うことなのですが、ほとんどの人は自分が何を求めているのか分かっていません。

「結局何がしたいの?」とわけのわからない転職や留学などを永遠と繰り返す人などはその典型です。

自分の感情を整理して、それを深く理解すれば、「自分は何をするべきか」が明確になります。

そして欲望的な感情は階層構造になっていることがほとんどなので、上位概念と下位概念を理解することが大切です。

例えば女性の「結婚したい」や新橋のサラリーマンの「留学したい」といった欲望は、本人たちも気づいていませんが、実はそれ自体が上位概念の欲望ではありません。(女性の結婚に関して、「いや、私は結婚して子供産むのが幸せだと思ってるから、それは純粋に求めてるものです」と反論する人もいるかもしれませんが、彼氏もいないのに比較的スペックの高い男性と結婚したがる丸の内OLなどはあくまで「承認」を求めているだけです。)

結局、なぜ留学したいのか、なぜ結婚したいのか、なぜタワマンに住みたいのか、なぜ英語を話すようになりたいのか、なぜロレックスが欲しいのかといった感情を整理していくと、「他人に承認されたいからやっている」という上位概念があることに気づきます。

私の持論ですが、究極的に人間の行動を整理すると

本当に単純に好きでやっているか
生物としての必要性に駆られてやっているか
他者からの承認を求めてやっているか

必ずこの3つのカテゴリーに属します。

もちろんこれらは背反ではないので、「本当に好きだし人に承認されるから」という場合もあるでしょうけど、概念的にこの3つは別のものです。

そして我々先進国の人間は食うに困ってることまずないので、仕事以外の行動はほぼすべて承認を求めているか好きでやっているかのいずれかです。(そして仕事が実は1番承認を求めてると言えるかもしれません)

逆に言えば、シンプルに整理してしまえばこれだけです。

そこで私は常に自分の行動を整理するようにしてます。

好きでやってるなら純粋にやればいい。

そして他者からの承認を求めているのであれば、この承認は本当に欲しい承認なのか?、リスクとコストをかけるには対する承認なのか?、他の承認で代替可能ではないか?と常に考えるようにしています。

このように考えていくと、自分の感情が非常にクリアに明確になります。

そして本当に自分の感情に向き合ってみると、「社会に貢献したい」、「留学して専門知識を身に付けたい」などというのは実は承認を求めたものであるということに気づきます。

私には非常に不思議ですが、世の中の人はただ単に承認を求めてるだけなのに、なぜかそこに高尚な理由をつけたがります。

有名大学の学生が一流企業にいきたかったり、留学したかったり、などというのも彼らはいろいろ美辞麗句を並べますが、ただ単に「それが社会で評価されているから承認されたい」というだけです。

社会人の男性が英語を話せるように努力しているのも、「仕事に必要だから」などと言いつつさらなる上位概念を探求していくとやはり「英語が話せたらかっこよくて承認されるから」ということになります。

なぜ俗物女性が港区に住みたがるかと言えば、ただ単に港区に住めば承認してもらえるからです。

現在の常識に囚われているだけです。

繰り返しますが、人間のほとんどの感情を整理していくと意外とシンプルになります。

自分の感情を整理して不毛なことにエネルギーを使わないことが大切です。

私もそうですがほとんどの人間は完全なる仙人や仏陀にはなれません。

しかし、その中でせめて「コストの高い承認」を求めて不毛なエネルギーを消耗することだけは幸せになる上で避けるべきです。