Ojisanが哲学する

哲学大好きなojisanが偉そうに人間や社会を語ります

人間社会がカオスな理由

完全に先程の続きです。

 

現代社会は自由や平等、人権、軍縮といったすばらしい旗印を掲げていますが、にもかかわらず現実の世界ではいじめやカースト、マウンティング、嫉妬、戦争、核実験といったおどろおどろしい行為がなくなることは決してありません。

 

そして私は今後もそれらがなくなる事はないと思っています。

私が世界平和や人間の幸福について懐疑的なのは、前の投稿でも述べたように、誰もが

自分が他人より上にいたい、そして他人に自分の優位性を認めさせひざまずかせたい。

決して他人が自分より上にてはいけない。上にいるなら何とかしてその優位性を崩してやりたい。決してその他人を認めてやるものか。

という醜い感情を持ってるからです。

人間社会から戦争がなくならないのも、根本の所ではこういった感情が遠因にあると思います。

我々人類は平等思想や人権思想といったものを社会を調整するツールとして編み出しました。

それはそれで一定程度奏功したかもしれませんが、やはりそれは生物としての生々しい感情に反しているのです。

そういった意味でそれらの思想にも一定の限界があります。

心の奥底で人間は誰もが、自分「だけ」が優れた人間でありたいと思っていますから。

憲法の平等思想を研究してる先生や経済学のリベラリズムを研究している先生も、絶対に研究者として自分の学説が他の学説より優れていると他人を認めさせたいんでしょう。

きれいごと抜きに言えば、学問的な探求ですら、結局自分の優位性を示すためにやっていると言えます。

どれだけ平等主義や共産主義を信奉している先生であっても(仮にその先生がものすごく学会で権威を持ってるとして)、やっぱりその先生は他の先生と同列だと気分が悪いと思うんです。

結局、自分「だけ」が優れていたいんですよ。

ザッカーバーグも、いろいろと美辞麗句を並べていますが、やはり自分だけが圧倒的に優秀だからこそ気持ちが良いはずなんです。

「困っている人を助けたい」とは言っても、心の奥底では「本当に並ばれたら困る」という醜い感情は絶対にあるはずです。(自分でもその醜い感情に気づいてないと思いますが)

なぜなら社会のあらゆる評価は相対評価だからです。

優秀じゃない人間がいるから自分の優秀さが際立つわけです。

残念ながら、

 

原理的に「『みんな』が自分『だけ』優れている」ということはあり得ません

 

から。

このように考えていくと、個人レベルで人は絶対に他人より上にいたいわけですから、国家レベルであっても世界平和などを訪れるはずもありません。

政治学などは主に文系の人間がやっていますが、こういった生物のレベルや社会心理学のレベルでものを考えていくと、不都合な真実が見えてくるでしょう。