Ojisanが哲学する

哲学大好きなojisanが偉そうに人間や社会を語ります

銀座で働く女性の友人の悩みについて

私が最近知り合った女性で、化粧部員をやっている方がいらっしゃるのですが、「銀座で働くのは辛い」と嘆いていました。

聞くところによると、彼女は新潟の出身で、学生時代から東京にいるらしいのですが、東京でお金がないのは、新潟でお金がないよりつらいみたいです。

「銀座で働いてると、これでもかって言う位にお金を持っている人がたくさんお客さんとして来る。そんな人を毎日相手にするのは辛い。でももう新潟には戻れない。東京のきらびやかな生活を見てしまったから」

これが彼女の悩みです。

彼女に限らず東京に来てこういった悩みを持つ人は山ほどいると思います。

私は東京にいて思うのですが、東京に限らず都会というのはお金を持っているとものすごく楽しく、お金を持っていないとものすごく惨めです。

なぜ場所によってこんなにメンタリティーの違いが出るのでしょうか?

理由は簡単です。

私はいつも申し上げていますが、本来お金というのは「インクがしみ込んだ紙」です。

なぜお金に意味があるのかと言えば、お金を払えば他の人間に嫌なことをさせられます。

タクシー運転手がなぜ運転して人を運ぶのかと言えば、お金が欲しいからです。

スーパーのレジ打ちの人が嫌々スーパーのレジ打ちに従事するのは、お金が欲しいからです。

そしてタクシーの運転手はラーメン屋でラーメンを食べるときに、今度は逆にラーメン屋にラーメンを作らせることができます、お金を払えば。

このように、お金によって、お金を払う側と払われる側で、「お金を介した服従」が可能になるわけです。

もちろんある程度社会貢献とかやりがいもあるかもしれませんが、基本的に私の理解では「仕事とはお金のために嫌なことをするもの」、「お金は我慢料」です。

スポーツ選手や歌手のように本当にやりたいことをやってお金を稼ぐ人は別ですが、世の中のほとんどの人は生活のためにお金という我慢料をもらうために仕事をしています。

逆に言えば、「お金ができること」など自然界の中では限られています。

60歳の女性が子供生んだり、50階から飛び降りて死ななくできたり、という「自然法則に逆らう事」はビルゲイツでもできません。

宇宙や生物というレベルで考えたら、お金でできることなどたかが知れています。

ビルゲイツでも平安時代に行くことはできませんし、ビルゲイツが出産をすることもできませんし、ビルゲイツがいくらお金を払っても「ちょっと重力なくなってくれないかなぁ、頼むよmgさんよ」なんてことにはなりません。

要するに、自然界にはお金ができることとお金ができないことがあるわけですが、都会にいると、人間が非常に多いので、「お金ができること」の相対的な割合が他の場所にいるより高いわけです。

繰り返しますが、お金は人に我慢をさせるための我慢料ですから、田舎の農家がどれだけお金を持っていても、「1億円払うから台風来ないでちょうだい」みたいなことはできませんし、「300万あげるからマグロきてちょうだい」みたいなこともできません。

所詮人がいるからお金が必要なのです。

そのように考えると、なぜ東京にいるとお金の重要性が高まるか理解できると思います。

基本的に人間が作った「モノ」やサービスはお金を払えば好きなだけ手に入りますからね。

そんなものは自然界で言えば「ごく一部」ですが、東京にいると、お金を持っている人もお金を持っていない人も「お金の万能感」に夢中になるわけです。

貨幣に対する万能感を相対化する上で、やはりある程度自分で田植えをしてみたり、魚をとってみたり、自然界における人間の無力さやお金の限界を感じることは大切でしょうね。

もちろん私はここで「お金なんてなくたっていい」などと極端なことを言ってるわけではありません。 やはり、生活をする上でお金は必要です。 しかし、本来自然世界の中で「お金ができること」は人間を介したごく一部のことでしかありません。 そういった相対化により、お金に対する万能感がなくなると思い、世界をフラットに見ると思うのです。