Ojisanが哲学する

代官山在住のojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。京都大学法学部在学中に大手予備校で予備校講師をしていましたから、教育に興味があります。

いい人生

最近「いい人生」についていろいろと考えます。
(いや、いつも考えていますが)

もちろん最終的に自分が納得することが大切ですが、やはり人間は社会的な動物である以上、他人からの目線や他人との比較による評価も幸福感を維持する上で無視できません。
ちょっと前の投稿で、「仙人になる」ことを勧めましたが、これはあくまでも「モデル」であり、やはり現実の生活で完全に達観しきることはできません。
「人目を気にしないで自分のやりたいことをやれよ」といったアドバイスはわりとよく聞きますが、正直かなり浅いアドバイスだと思います。
やはり人生には「自分の中の幸福」と「他者を意識した上での幸福」の二つのレイヤーがあり、これらは二律背反ではありません。

東京や関西では「量産型の幸福」を求める層がかなりいますが、この手の相対評価の世界というのは、ある種「そこなし沼」です。

例えば、子供を良い会社や良い学校に行けば、幸せになれると思っている親はかなり多いようですが、基本的に自分が所属するコミュニティが上がれば上がるほど、相対的な幸福感はどんどん下がっていきます。

高校野球のヒーローもプロに行ったら二軍生活だったりするわけですが、似たようなことがサラリーマンなどにも当てはまります。

サラリーマンや公務員等のホワイトカラーの世界で、ある程度以上のレイヤーに行くと、自分の周りはみんな一流大学卒や官僚や商社マンだったりしますから、「有名私大を出て丸紅に勤めている」などというのはその人のコミュニティでは「普通」です。

若い女性も結婚して港区に住めば自慢できると思ってるかもしれませんが、結局港区に住めばデフォルトが「港区基準」ですから、相対的な幸福感は長くは続きません。

私も馬とかちょっとお金のかかる趣味をやっているので、お金持ちの経営者などいくらでも知っていますけど、やはりその中のコミュニティでは年収2,3億など普通ですから、そのコミュニティでドヤ顔をするのは大変です。

結局ステージが上がれば上がるほど相対的な幸福感はどんどん減っていきますから、幸福感を維持するためには、他者との比較ではない自分だけの面白い世界を作り上げるという事がやはり大切でしょう。

将棋や読書が楽しいとか、筋トレして楽しい、とか、おいしいものを食べて幸せ、とか、そういったある程度「自分の中で完結している楽しさ」ですね。(ただし、これらも本当に突き詰めていくと他者の影響がゼロとは言えませんが、相対的に独立してるでしょう)

ただ、やはり「人間だもの」、やっぱり人から褒められたい、賞賛されたいというスケベ心や煩悩もなかなかゼロにはなりませんから、そっちのほうは自分の中で「及第点」を与えた上で、あまり泥沼に巻き込まれないことが大切です。

港区の主婦などを見ていると、価値観が完全に他人基準になっているので、もはや泥沼です。

「旦那の年収」のような定量的で相対的な世界だけが価値基準ですと、「上には必ず上がいる」わけで、永遠に勝ちきる事はないわけですから(旦那がビルゲイツにでもならない限り)、そのアホらしさについては自覚するべきでしょう。

やはり、「自分の中で完結している世界」と「他者からの承認を求める喜び」のバランスをとることが幸福に生きるためには最も大切なのではないでしょうか。

こんな中二病みたいなことをちょっと考えてみました。