Ojisanが哲学する

哲学大好きなojisanが偉そうに人間や社会を語ります

そもそも論

「そもそも」

※今日もまだ体調が完治していないのでひたすら考えてひたすら投稿していますので、時間がある人は付き合ってください。笑

ちょっと前に読んだ本に「頭の良い人は『そもそも』で考えるし、『そもそも』が口癖だ」と書いてありました。

しかし、私はこの考え方は半分正しく半分間違っていると思っています。

なぜならば、あらゆる議論には「前提」があるからです。

例えば実定法学であれば、「人権」の存在は公理ように前提になっているのですから、そこで「そもそも人権という発想がおかしいのではないか」などと問うても意味がありません。

経済系の議論をしてる時に「そもそも拝金主義やGDP至上主義に問題がある」などと「そもそも論」で突っ込んでも逆にとんちんかんです。

「どうすれば日本のGDPが上がるか」を議論してる時に「そもそもGDP至上主義が問題だ」と指摘をしても何の意味もありません。

ある程度の有識者であれば、そんなことはわかって上で議論をしているからです。(本当にわかっていなそうな人がいるならマウンティングとして「そもそも」は使えますが)

「そもそも」と言うと議論を高みから見下ろしたようにさりげなくマウンティングできますが、実は頭のいい人はそんなこともわかった上で「前提」を疑うことなく議論していたりしますから、中途半端なレベルで「そもそも」を乱用をするのは典型的な「インテリぶったバカ」です。
例えばゴールドマン・サックスで働いてるような人を「拝金主義で資本主義の悪魔に魂を売った輩」などと批判するような人がいますが、私の友人でもそんな反論やあらゆることを全てわかった上で「あえてのっかかっている人」も多数います。
「そもそも」は頭が良く「見える」だけで、使い方を誤ると逆にカッコ悪いフレーズのような気がします。