Ojisanが哲学する

京大在学中に英語講師をしていたojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。趣味は英語で英検1級です。

向いてることをやる

これまでも似たようなことを何度も申し上げてきましたが、私はあらゆることは才能や遺伝子で決まっていると思っています。

「努力すれば何とかなる」という意見も理解できない事はないですが、

特定の分野で努力し続けられるということ自体が多分に才能なのです。

私は「努力できる人間」と「努力できない人間」がいると思っていません。

厳密には、「この分野なら努力できる」という才能が存在するだけだと思っています。

私の小学校ん時の友達で、親同士も仲が良い奴がいるのですが、彼の親はいつも嘆いていました。

「うちの息子は全く勉強しない。将来大丈夫かしら。わからないことがあったら教えてあげてね、、」と。

たしかに彼は学業で努力する才能はなかったのですが、ビジネスマンとしては大成功して、いまや年収何千万で雑誌にも取り上げられるスーパースターです。

やはり、人間は好きなことや向いてることに関しては一生懸命になれます。

これ以上話すと特定されるので言いませんが、彼のご両親はちょっと価値観が狭すぎたと思います。

確かに都会だと、特に男の子が勉強ができないと、ものすごくご両親は悩むと思いますが、勉強が唯一社会的に成功するための手段ではありません。

やはりできないよりはできた方が圧倒的に富裕層になる確率は高いですが、あまり学業に向いていなくても美容師や飲食店のオーナーとしてめちゃくちゃ稼いでるような人間もたくさんいます。

「勉強ができないとダメだ」というのは非常に視野狭窄な考えだと思います。

日本の教育が良くないのは、「得意な分野を伸ばす」というよりは「不得意分野をなくす」ことが重視されている点です。

「オール5」と言いますが、すべての科目ができないと有名高校や有名大学には行けませんが、ノーベル賞受賞者を見たらわかるとおり、別に東京大学京都大学などに入れないような人でも研究者としてはものすごく活躍しているわけですから、「まあまあ全科目できる人が優秀」というのは1つの価値観にしか過ぎません。

「優秀」の定義を日本人は狭く解釈しすぎなのです。

また、そもそも勉強じゃなく体育や芸術に秀でている人もいるでしょう。

様々な「優秀さ」がある中で、一つのことができないだけで「自分はだめな人間だ」と思い込むのは本当にもったいないと思います。

何かできない時に「まだまだ自分は努力不足だ」と責める必要はありません。

「向いてないんだな」と思えばいいのです。

私の感覚ですが、努力していることを実感してるうちは逆説的ですがあまりその分野に対して適性があるとは思えません。

やはり人は興味があることや好きなことに関しては、「努力している」という感覚すらなくなってくるものですから。

「人からはめちゃくちゃ努力しているように見えるんだけれども、自分の中では全く苦しくない」のが「向いている」ことの一つの証左なのです。

ちなみに、この「向いてること」は必ずしも仕事である必要はありません。

趣味でも向いていることで活躍できれば十分だと思います。

日本人は、どうしても長所を伸ばすよりも欠点を克服することに興味が行きがちですが、ちょっとやってみてうまくいかないのであれば、適性がないと判断して土俵を変えてみることが大切だと思っています。

日本人は「我慢」を美徳と考える習慣がありますが、繰り返しますけれど、自分で「我慢している」とか「努力している」という感覚が強い時点で向いてないわけですから、やはり自分の直感を信じてどんどん行動することが大切です。

「石の上にも3年」と言いますが、私は「3年いても石は石」だと思っています。

「我慢強さ」を美徳だとする考え方は、人を使う経営者から見ると非常にありがたい価値観です。

不条理や不都合なことを隠蔽する性質があるからです。

「会社が悪いって? んな事はないよ。 ちょっと我慢が足りないんじゃないの?」と言えば、非常に支配者からしてみると都合がいいですからね。

(ただ、最近の若者のように、あまりに単純にすぐにやめるのも問題だと思いますから、「程度問題」という他ありませんが。)

皆さんが向いている分野を見つけて社会で活躍できることを願っております。