Ojisanが哲学する

京大在学中に英語講師をしていたojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。趣味は英語で英検1級です。

人生の意味について

私はタクシーをよく使いますが、ウォーキングもします。

ウォーキングをするくらいならタクシーに乗らなければいいのですが、不思議なもので、「歩きたくて歩いている」のと「移動のために歩かなくてはならなくて歩いている」のではどうも心持ちが違うのです。

人間は他の生物と違い「意味」を常に問い続ける動物です。

同じことをするにしても、シーシュポスの神話のように「意味」を感じられない作業をしているのか、ザッカーバーグの演説のように「意味」(sense of purpose)を感じられるのかで心持ちは全く違います。

「意味」を感じる人生を歩みたいものですね。

そしてその「意味」というのは、世界に内在してるものではなく我々が作り上げるものです。

自然界に「意味」や「価値」などないわけですから。

物理や化学の教科書に「意味」という言葉は出てきません。

ただし、この「意味」というのは、完全に自分だけで作り上げるものでもありません。

ここ数日何度か言っていますが、やはり人間はお金や社会的な価値観を完全に無視することはできません。

私は意味や幸福を考える際に、「自分だけの世界」と「俗的な世界」は車の両輪だと思っています。

よく「他人を気にせずに自分のやりたいことをやれよ」と浅いアドバイスをする人がいますが、人間はポリス的な動物ですから、人間には社会から隔絶された自分だけの自由意志などそもそもありません。

やはりどんな判断もそれなりに社会からの影響を受けているからです。

とは言え、家族と一緒に過ごす時間が楽しかったりするのはある程度普遍的な価値でしょう。

自分の好きな「釣り」や「将棋」をするのも、ある程度社会やステータス的なものから独立した自分固有の価値です。

あの松本崇嗣は、山登りが趣味みたいですが、これも他人との比較等関係ない自分だけの世界でしょう。

ただし、家族とある程度幸せに過ごしたり、趣味を楽しむためにはお金が必要だったりもします。

別のポストでも述べましたが、お金には所詮限界がありますが、「人間界」においてやはりお金はそれなりに幸福と結びつきます。

結局のところ、人は社会的な価値と自分の世界の価値である程度バランスをとりながら自分にとっての最適解を探すほかないのでしょう。

完全に仙人になれて、自分の価値だけを追い求められることができたらそれは幸せだと思いますが、なかなか人は仏陀や仙人にはなれません。

私も一時期それに近いものを目指そうとしていましたが、やはりどうも自分に嘘をついているような気がしてなりません。

私は、哲学や家族といった自分の世界だけではなく「人から認められたい」というスケベ心がなくならない人間ですが、これは事実として受け入れなくてはならないと思いました。

皆さんのほとんどの方もなかなか仙人にはなれない方でしょうし、それは仕方ないことです。

自分だけの世界と社会的な価値を自分がつらくない範囲で追い求めるのが賢者でしょうね。

私はそのように思っています。