Ojisanが哲学する

京大在学中に英語講師をしていたojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。趣味は英語で英検1級です。

子育てと一般論

私みたいにアラフォーくらいの年齢になると、子育ての話になることが多いですが、話の流れ的に、自分たちの昔話によくなります。

小学校時代はこうだった。

中学や高校は公立で苦労した。

etc

しかし、当たり前と言えば当たり前ですが、人生は同じ時期に複数のことを同時にすることができないので、どうしても自分の経験を過剰に美化するか、過剰に卑下するかのどちらかになりがちです。

例えば、公立の小学校で馴染めなかった人は、「自分と同じ思いをさせないように子供は絶対に私立に入れよう」となります。

また、中高一貫校で良い教育を受けて大学受験に成功して今いい生活をしていたら、「子供も同じことをさせてあげよう」となります。

しかし、やはりこれはどちらも極端と言うほかなく、現実に我々は同じ時期に複数の経験はできないわけですから、過剰な一般化は禁物です。

公立中学に進学した経験を持ってる人は、私立中学に進学する経験は持てなかったはずです。

部活としてサッカーを選択したら当然野球はできません。

だいたい「親」は二人しかいなく親を選ぶことはできないわけですから、その時点で人生の経験の幅等は絶対的に限られています。

上に述べたように、人間は自分の成功体験を美化し、自分の失敗談を卑下しがちですが、本当はそれらの判断が正しいのかもわかりません。

例えば私はサッカーをやってよかったと思ってますが、バスケットボールをやっていたらもっと楽しかったかもしれません。

逆に進学校にはいなかったので、小学生や中学生の時に勉強して名門校に入っていればもっと勉強で楽だったのになぁと思いますが、名門校でだらけて全然勉強しなくなっていた可能性もあります。(そういうタイプの友人はいっぱいいます)

全く同じ条件で比較したいところだけを比較することが事実上困難である以上、やはりこういった判断は推測の域を出ません。

もちろんだからといって不可知論になるのも危険ですが、一つだけ間違いないのは、自分の体験を無理に一般化することです。

「俺がこうだったんだから息子もこうした方が良い」も「わたしはこれでうまくいかなかったから娘はあっちのほうがいい」もちょっと極端すぎるでしょう。

なぜならば、いくら子供と言えど、やはり親と子供は別の人間で個性や嗜好があるからです。

過度な一般化は禁物です。