Ojisanが哲学する

京大在学中に英語講師をしていたojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。趣味は英語で英検1級です。

今を生きる難しさ

半分前の2つの投稿の続きですが、東洋経済やプレジデントあたりでは毎月のように教育や学校の特集をやっています。

もちろん今の社会秩序を考えると、ある程度教育や進学先に関して考えざるを得ないことは理解できます。

しかし、「子供時代」は必ずしも「成人して立派に稼ぐため」の手段的な時期ではありません。

子供時代が人生の大切な一部なわけですから。

子供時代もそれ自体が目的であり、将来のために子供時代を過度に犠牲にするような生き方は全く良い生き方だと思いません。

都会の教育熱心なレイヤーを見ていると本当に思うところですが、結局将来のことを考えすぎて「いま」を大切にしなかったら、何のための人生なのかと思ってしまいます。

結局「未来のための現在」という価値観を推し進めていくと、最終的には「死ぬために生きている」という皮肉な結論に至ります。

小学生が勉強するのはいい中学に入るため
いい中学に入るのはいい大学に入るため
いい大学に入るのはいい会社に行くため
いい会社に行くのは安定した老後のため
安定した老後は安心して死ねるため

etc

結局目的手段思考を突き詰めていくと、人生のあらゆるステージが「仮の段階」であり、さらなる上のステージに対する予備的な段階になってしまいますが、これが馬鹿げた発想である事は言うまでもありません。

子供時代には子供時代固有の、少年時代にも少年時代固有の価値があるわけで、それらを「立派に稼げる社会人になるための手段」のようにとらえることには非常に空寒さを感じます。

都会で子育ての話になると、圧倒的に学校とか受験の話になります。

私はそれらもそれなりに重要だと思う反面、何故か「子供の教育」というトピックになったときに、しつけやスポーツとかではなく学校や受験の話にしかならないところに非常に気味悪さを感じます。

どうも日本人は「今を犠牲にして将来のために頑張ること」を無駄に価値のあることだと思っていますが、こういった価値観が行きすぎると、

人生が常に次の人生のステージに対する「予備期間」になってしまいます。

都会の大学生を見ていると、彼らは常に人生に「意味」を求めているようです。

「就職するためにインターンをする」
「いい会社に行くためにtoeicをやる」
「就職のためにOB訪問をする」

しかし、あらゆることに「意味」を求めるような人生も逆説的ですが、意味がないと思ってしまいます。

よしんば彼らが目標のために頑張ってるプロセスそのものを楽しんでいれば良いのですが、ほとんどの場合は「未来のために辛いけど頑張」っているのではないでしょうか?

プロセスを楽しめるなら全く問題ないと思いますけど、努力するのが「結果を出すのための手段」ならば全く幸せな生き方ではありません。

明日車に轢かれたら何も残りません。

また、教育=学校の話になるように、子供の将来の話になるとほぼ例外なく「●●は将来❌❌になる」という話になりますが、これもちょっとおかしな話です。

最終的には子供が幸せな人生を送ってくれたらいいわけで、その幸せな人生がすべて仕事とリンクしているかのように考えるのも非常に不気味です。

「仕事が自己実現じゃないといけない」というのも近代社会が生み出した壮大なドグマ

ですから。

あらゆるものが仕事やお金と結びつき、「いまを生きる」感覚が失われているのは、資本主義の病理現象でしょうか。

たしかにそもそも資本主義というのは、永遠と未来に向けて拡張する営みですから、我々の思考そのものが無意識に資本主義的なんでしょう。

もちろん、あまりに将来や未来を考えすぎないのも問題ですが、未来のために過度に現在を犠牲にするような生き方や教育は受け全く好ましいものだとは思えません。

プレジデントや東洋経済などを見ながらこんなことを考えています。