Ojisanが哲学する

京大在学中に英語講師をしていたojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。趣味は英語で英検1級です。

「頭の良さ」について

仕事や日常生活で「あの人は頭が良い(悪い)」という表現をよく聞きます。

たしかに、私も飲み会などで大して深く頭を使ってない時は「あいつ頭いいよ」などと言います。

しかし、冷静に考えてみると、「頭がいい」という表現は極めてミスリーディングです。

なぜならば、

「頭の良さ」というのは、判断する人間とシチュエーションによって大きく変わる概念だから

です。

「運動ができる」と言っても、野球で比べるのか、サッカーで比べるのか、ラグビーで比べるのかによって、かなり得手不得手が出てくるでしょう。

それと同じで、「頭の良さ」も「どんな頭が求められるのか」という状況によって、「必要な頭の良さ」は変わってきます。

会議でプレゼンをするための頭の良さと営業のための頭の良さは、ある程度重なるでしょうけどやはり違います。

自然科学の研究室における頭の良さとサッカー場での頭の良さはやはり違います。

 

経営者としてのビジネスセンス的な頭の良さと国家公務員としての頭の良さは違います。

このようにシチュエーションによって必要な頭の良さはまるで違います。

また、「判断する人間」によっても「頭の良さ」は変わります。

いつも似たようなことを申し上げていますが、人間は自分が可愛いので、無意識のうちに「自分と同じ頭の良さを持つ人間」を「頭がいい」と我々は評価します。

一度申し上げましたが、私はクイズ番組に出るような人間を「ただ単に処理能力やIQが高いやつ」だと思っております。

その一方で、人文社会系の一流の研究者等は「すばらしい思考力を持っている」と評価しています。

これはこれで間違いないと思いますが、やはり私がこう思うのは、あまりクイズ的な能力にそこまで自信がないからでしょうし、逆に哲学や思想のセンスは人並み以上にあると思ってるからです。

やっぱり人間は自分が勝てる土俵を評価したいのです。笑

 

お笑い芸人はお笑いのセンスを「頭の良さ」と評価したいですし、官僚なんかは知識量や処理能力こそが「頭の良さ」だと定義したいわけです。

 

みなさん、最終的には自分が勝てる土俵にもっていきたいわけですよ。

 

はっきり言ってそれだけです。

このバイアスについてはいくら強調しても強調しすぎる事はないでしょう。

よく学校教育で優秀じゃなかった人間は「勉強ができるからといって頭が良いとは限らないからな!」と言いますが、これはこれで極論なのです。

勉強系の頭の良さはやはりIQや暗記能力とは密接な関係がありますし、それができることが一定程度頭の良さとリンクしているのは当然です。

ただ、逆に日本社会だとそういった勉強系の頭が良いだけで無条件に「頭がいい」と過大評価されるのが問題なわけですね。

これは先程のスポーツの例が適切だと思いますが、「野球ができるからといって運動一般ができるとは限らない」わけですけど、やはり野球ができる事は間違いなく運動能力の一部には秀でているという事ですからね。

判断のバランス感覚が大切です。

繰り返しますが、「頭の良さ」とはシチュエーションと判断する人間によって変わります。

こういったことを頭に入れているだけで、間違った独断で人を判断することがなくなるでしょう。

このように考えております。