Ojisanが哲学する

京大在学中に英語講師をしていたojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。趣味は英語で英検1級です。

価値について

私はいつもある程度同じようなことを言ってるかもしれません。

「もっといろいろなことについて語ってくれよ、飽きてきたよ」という方もいらっしゃるかもしれませんが、「趣旨」や「骨子」は過去にも同じようなことを何回も言っていますが、やはり日々考えてそれなりにディティールは進化しているつもりなのでw、「大体同じこと」だからといって飽きないでください。笑

本題ですが、都会で生活をしていると、人との比較等で欲しいものが手に入らないで欲求不満を持つこともあるでしょう。

 

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私の芝浦のセカンドハウスの周辺を遠目からなんとなく撮影してみたのですが、高層ビルやタワーマンションは確かになんとなく「かっこいい」ですよね。

私も素直にかっこいいと思ってるのでわざわざ借りてるわけですから。笑

しかし、ボードリヤールのお話じゃありませんが、こういった「かっこよさ」はあくまでも社会が成立しているからこそ存在しうる「かっこよさ」であり「価値」です。

 

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ゴールドマン・サックスに価値があるのも、タワーマンションに価値があるのも、佐々木希に価値があるのも、バーキンに価値があるのも、すべて「社会がそれに価値を認めているから」です。

そういった意味でそれらは共同幻想と言えそうです。

「みんなが価値があると思っているから価値がある」と言ってしまえばそれまでです。

 

都会的な価値観は全て「裸の王様」に近いかもしれません。

 

先入観抜きに冷静に考えて、バーキンが肉何キロとか卵20万コ分の価値があるはずがありません。

 

goldも自然科学で言えば、「ただのAu」でしかありませんし、自然世界においてAuがOやHeより価値が高いなどという事はありません。(ただ数が少ないだけで)

あくまで我々ホモサピエンスという生物が勝手にそれに価値を見出しているだけと言えばだけです。

宇宙人からしてみたら、こういったものには何の価値もないですから。

荘子も「カラスからしてみたら美人もブスもないよ」と言ってますが、他の動物からしてみたら港区の足立区もありませんし、日本もフィリピンもイタリアもありません。

あるのはただ「自然的世界そのもの」です。

しかし、それに対して、「人間の生存には水が不可欠だ」というのはある種絶対的な価値観です。

水がなかったら人間は死にますから。

また、「子供が可愛い」というのもある種絶対的な価値です。

自分以外の人間全てが全く関心がなくても、自分の子供は世界一かわいいでしょう。

こういった絶対的な価値に比べると「都会的な価値」なんてたかが知れています。

私ももちろんある程度はそういった価値観にのっかかっていますが、心のどこかで「みんなが価値があると思ってるから価値があるだけだ」という冷静な考えを持っています。

都会的な価値観で敗れたからといっても、もっと広い視野で世界を見てみたら、そんなことがいかにたいしたことないかに気づくでしょう。

私も率直に言って、都会的なラグジュアリーを享受している事は否定しません。

しかし、仮にそれらがなくなったときに「この世の終り」と思うか、「都会的な価値観において負けただけ」と思えるか、で人生の満足度はかなり変わってくると思うのです。

いつも半分ネタにしていますが、港区の奥様たちがあまり幸せそうじゃないのは、「都会の相対的な価値観」でしか世界を判断できないからです。

地理や歴史、哲学といった広い世界から自分の立ち位置を眺めると、ちょっと金持ちもちょっと貧乏人も似たようなものだと気づきます。

江戸時代のような飢饉もありませんし、アフリカのように子供が餓死することもありません。

「生存と生殖」という生物としては最低限のタスクが終わった上で、われわれはボーナスステージにいるわけです。

こういった広い視野でものを捉えていれば、旦那のスペックがどうだ、出世がどうだといった俗的なことだけが幸不幸に影響を与えるはずはないと思うんです。

ある意味、われわれは全員生物としてはありえないほどの幸せに満ちた生活をしてるわけですから。

このように考えております。