Ojisanが哲学する

代官山在住のojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。京都大学法学部在学中に大手予備校で予備校講師をしていましたから、教育に興味があります。

なぜ我々は豊かなのに生きづらいか

我々のように先進国に生きる人間は、地理的に見ても歴史的に見てもありえないほど豊かな生活を享受しています。

ほぼ全ての人間が餓死しない。

みんな着るものも家もある。

有史以来、ここまでの割合で衣食住が満たされる人間がいた時代は皆無と言ってもいいでしょう。

しかし、、、

我々が日々幸福感を感じられているかと言えば、かなり疑問です。

その理由はいろいろあるかもしれませんが、最も大きなそれは、

テクノロジーや生活水準の進歩に生物としての我々の体がついていってないから

というやつでしょう。

よく言われていることですが、我々の脳や体は30,000年前の原始時代から生物レベルではほとんど変わっていません。

それなのに、生活水準やテクノロジーは年々凄いことになり、生物としてのデフォルトとそれらとの齟齬が年々高まっています。

例えば、今も昔も、やはり女性は18歳位で妊娠するのが一番効率が良いように人間の体はできています。

それが生物としての進化のプロセスの結果なわけです。

しかし、これだけ女性の社会進出や高学歴化が進むと、「18歳で出産」というのはあまりにも現実的ではありません。

このように社会的な価値観と生物の進化のスピードがまるで噛み合っていないのです。

ダイエットなんかもそうでしょう。

われわれは先進国に生きているので「いやあ、メタボで困っちゃったよ」なんて言います。

しかし、本来生物として歳をとるにつれて獲物が取れなくなるわけで、摂取カロリーが少なくても済むように体が適応した結果がメタボであり肥満です。

これも社会的な価値基準と生物としての進化に齟齬があるパターンです。

また、仕事や勉強などで、我々は1日10時間位椅子に座っていることも珍しくないですが、多くの研究者が警鐘を鳴らしてるように、本来人間の体は椅子に一日中座ってるようにはできていません。

それでも東京のような都会で良い生活をするためには、1日中デスクワークに従事しなければならないわけです。

むしろ体のことを考えるとデスクワークといったホワイトカラーの仕事よりも、引越し屋さんでもやったほうがずっと効率が良いわけですが、人間社会の生活を考えると選べる人はどうしてもデスクワーク中心の生活を余儀なくされます。

これも結局人間社会の価値基準と生物レベルの齟齬でしょう。

一日中机に座ってパソコンを使っているような生活は当然生物として好ましいものではありません。

目を酷使しますから、姿勢は悪くなり、肩や背骨にも悪影響ですし、血行は悪くなります。

それでも生物レベルというより人間社会の基準で考えた時に、ホワイトカラー的なデスクワーク中心の生活を止めることはできません。

結局全ては、人間の社会やテクノロジーの進歩と我々の生物としての進歩がうまく足並みを揃えてないことに原因があるのでしょう。

そのように考えています。