Ojisanが哲学する

代官山在住のojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。京都大学法学部在学中に大手予備校で予備校講師をしていましたから、教育に興味があります。

人生ほとんどのことはできない

人間の幸福感について何度か論じてきましたが、人間とは不思議なもので、全く手が届かないことよりも、届きそうで届かないものが手に入らない方が不幸なものです。

東京にいると、「お金があったら幸せになれる」と考えてる人は非常に多いですが、「お金があったらできること」と「お金があってもできないこと」を自然界のレベルで考えてみたら、圧倒的に後者の方が多いものです。

たとえ私が1兆円持っていても・・・

私は男性ですから子供が産めません。
火星にも行けません。
今東京にいますから、ニューヨークに30分後に到着することもできません。
水中に1時間潜ってることもできません。
鳥のように空を飛ぶことができません。
1日18食くらい食べたいんですがそこまで食べられません。
175km/hの球を投げたいですが投げられませんし、地球上でなれる人は1人もいません。
100mを8秒で走ることもできませんし、ボルトでも無理です。

できないことだらけです。

およそ自然界において、人間がお金でできることなどたかが知れています。

むしろ
ほとんどのことができない
と思ったほうがいいでしょう。

それでも我々はお金があれば幸せになれると信じていますが、それは結局「お金があったら」という仮定はなんとなくリアリティーがあるのでしょう。

今日たまたま東京カレンダーで発見したコラムが面白かったのですが



私は子供を産むことができませんが、それはどうイマジネーションを働かしても無理だからこそ欲求不満がないわけです。

「なんで俺は子供が産めないんだああ。ウォーン(涙)」とはなりません。

しかし、隣のなんてことない小娘の実家が金持ちで豊かな生活をしていて、それに対して自分の実家が貧乏だとすると、これはイマジネーションを働かせると、「なんであの子にできて私にできないんだろう」となります。

欲求不満や嫉妬の根源はそこにあります。

「自分との交換可能性」なんですよね。

私はビルゲイツイチロー選手に嫉妬したりしませんが、それは「自分との交換可能性」がゼロだからでしょう。

ただ、ミッドタウンの最上階でいきがっている社長とかを見ていると、ヒシヒシとライバル心が湧いてきますが、これも結局「自分との交換可能性」があるからです。

人間は「自分との交換可能性」を基準に他人に嫉妬したりコンプレックスを持ったりします。

こういった嫉妬心やコンプレックスが感情的に湧いてくるのは仕方ありません。

しかし、発想を変えてみたら気が楽になるのではないでしょうか。

自分の短い一生で「できないこと」なんて「できること」の何千倍もあるわけです。

それはどれだけ億万長者でも「すごい人」でも変わりません。

イチロービルゲイツほど稼げませんし、アインシュタインもマイケルジョーダンのようにプレイできません。

 

イチロービルゲイツも容姿ならトムクルーズ福山雅治に勝てませんし、医者や弁護士に医療の知識や法学の知識で勝てません。

何かが「できる」といっても、世の中の森羅万象の中では本当に「一部」のことです。

ただ、その「一部」が金儲けだったりスポーツだったり勉強だったり、社会が評価するものだと本人も勘違いをしますし社会も過大評価します。

しかし、元からそもそも人生全体の「一部」でしかないわけですから、過大評価は禁物です。

世の中のほとんどのことはできない中で、たまたまできそうでできないからこそ嫉妬心やコンプレックスが湧いてくるだけで、冷静に考えてみたら、元から人生なんて手に入らないものだらけですし、自分が勝てない人間だらけです。

そのように発想を転換して腹をくくってしまえば、およそあらゆる嫉妬心や劣等感がちょっと湧いてきてもすぐになくなっていくでしょう。

少なくとも私はそのようにメンタルを調整しておりますし、こう考えることによってかなり気が楽になります。