Ojisanが哲学する

代官山在住のojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。京都大学法学部在学中に大手予備校で予備校講師をしていましたから、教育に興味があります。

生まれつきの格差は悪か?

よく所得の再分配などの議論で「生まれたときの格差がそのまま経済格差とつながるのはいかがなものか」という主張が出てきます。

たしかに、私も生まれの経済格差がそのまま教育格差につながり、最終的にはとてつもない経済的な格差が生まれることを「直感的には」あまりいいと思いません。

しかし、冷静に考えてみると、人生は選べないことだらけです。

生まれてくる時代も選べない

生まれてくる国も選べない

親も選べない

身長や顔だって基本的には生まれた瞬間に決まっている

よくよく考えてみると、人生なんてほぼ選べないことだらけです。

私は大谷翔平みたいの球を投げようと思っても投げられませんし、明石家さんまのように面白く話そうと思っても面白く話せませんが、これはどれだけ努力をしても叶わぬ願いでしょう。

そのように考えると、生まれたときの格差がそのまま経済格差につながる事がそこまで問題かというとそうでもない気がしてしまいます。

私は、現代人が生きにくい理由の一つは、

「選べるはずなのに何も選べない」というなんとも中途半端な選択の自由を持ってる

ところだと思っています。

われわれは鳥のように空を飛べないことに何も不自由を感じません。

やはり絶対的にできない&選べないものに対しては何も悪い感情を抱かないのです。

結局、六本木ヒルズの最上階に住んでるIT社長や女子アナが嫉妬されるのも、「自分だってひょっとしたら選択できたかもしれない」という惜しい気持ちを万人に抱かせるからでしょう。

近代以降の「選択の自由」が一定程度人を幸せにしましたが、やはり選択の自由があることにより不幸になってる人も本当にたくさんいると私は思います。

江戸時代の農民は、武士に対してうらやましいとか嫉妬する事はなかったでしょう。

 

それは、農民が武士になる可能性は、我々が鳥になり空を飛べる可能性と同じようにゼロだからです。

生まれているときにある程度すべて決まっていることが当たり前の社会の方が、ある意味幸せなこともたくさんあるのです。