Ojisanが哲学する

代官山在住のojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。京都大学法学部在学中に大手予備校で予備校講師をしていましたから、教育に興味があります。

幸福について

東京カレンダーの連載の登場人物のように、東京には幸福を追い求めてそれが手に入らずに不幸になってる人間が山ほどいます。

世の中にあまりにも勘違いしてる人が多いのですが、一般的な意味で成功したりお金があったりして幸せそうな人は、成功やお金があるから幸せなわけではありません。

別に元から幸せは幸せなわけです。

ただ、もっと幸せになりたいからさらに上を目指したというだけで、「成功したら幸せになれるのに」なんて考えた事は一度もないはずです。

「そんなの成功したりお金があるから言える話だ」とよく言う人がいますが、そういう方は根本的にマインドセットが間違ってるわけです。

そもそも幸せな人は元から幸せなわけです。

幸せな人は「今自分が持っていないもの」ではなく「今自分が持っているもの」を見るからです。

ちなみに私も、10歳頃の時に家が火事になりましたし、学生時代には家賃30,000円の殺人事件があったマンションで1年暮らしていましたし、ちょっと前には詐欺で億単位のお金を失うような惨事がありましたが、そこまで自分が不幸だと思っていません。

究極的に言えば、どれだけ辛くても、毎日ご飯が食べられて健康体で生きていれば、きっと何かいいことがあると思ってるからです。

いつも申し上げていますが、人生を解釈するのは自分です。

コップに水が入っているときに、水が「半分も」入ってると思うのか、「半分しか」入っていないと思うのか。

都会で不幸な人を見ていると、ほとんどの人はコップに水が半分しか入っていないと考えます。

そしてこういう人は、コップが満杯になったら、「まだ一杯しかない、二杯、三杯欲しい」となるわけです。

人と比較してる限り、二杯、三杯持っている人がうらやましいのは当たり前の話です。(コップを旦那のスペックやバーキンやルブタン、子供の学校と置き換えたら、「なぜ港区の奥様たちが不幸なのか」よくわかるでしょう)

別に私は比較が悪いと言ってるわけではありませんし、完全に比較をしないのは不可能なことです。

ただ、東京の港区や渋谷区の人間は過剰なまでに定量的なファクターで人と比較をして、かつそれしか人生の軸がないのが問題なのです。

これでは人生が幸福になるはずがありません。

火事になった時も、幸い死者は出ませんでしたから、「誰も死なかっただけ幸いだよな」と気を取り戻すことにしました。

殺人マンションに住んでる時も、「屋根があって暮らせるんだから、そんなに贅沢言っちゃいけないよな。戦争に行った祖父の言葉を思い出そう」と考えるようにしました。

幸福とは求めるものではなく見つけるものです。

底辺の状態から頂点に近い状態まで味わってきた私が言うのですから間違いないですけど、もちろん上を目指す事は構いませんし、できる限りで頑張るべきですが、「いま不幸なのは〇〇が手に入っていないからで、〇〇が手に入れば幸せになれる」という発想の人は一生同じことを言っています。

幸福を求めるものではなくて味わうもの。

そして今の日本に暮らしていて、健康体でいて、本当に不幸な人なんてまずいないのではないでしょうか。

「今持っていないもの」ではなくて、「今持っているもの」を大切にすれば人生はより豊かになるでしょう。