Ojisanが哲学する

代官山在住のojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。京都大学法学部在学中に大手予備校で予備校講師をしていましたから、教育に興味があります。

人は見た目が9割か?

10年ほど前に『人は見た目が9割』という本がベストセラーになりました。

 

タイトルの通り、「人の見た目は極めて大切だ」という主張を筆者はしてるわけですが、よく何かの選択をする際の重要度を「〜%」とか「〜割」と表現することがあります。

 

レストランを選ぶ際に「味7割、雰囲気2割、ホスピタリティー1割」、男性を選ぶ際に「年収4割、見た目2割、面白さ3割」といった具合にです。

 

しかし、実際の我々の価値判断は、このように行われていません。

 

むしろ、「まずは見た目が10割」だったりします。

 

まずは見た目が閾値に到達しないと、中身や年収等を見てもらう機会すらないわけですから。

 

閾値」がキーワードです。

 

死ぬほど不美人で死ぬほど性格が良くても、興味を持つ男性はほとんどいないでしょう。

 

「この子めっちゃブスだけど性格鬼いいから会ってみなよ」と言われて乗り気になる男性はほぼいないでしょう。

一部上場企業が応募者の在籍大学でフィルタリングをかける場合も「まずは大学が10割」なわけです。

 

「東大生で使えなそうなコミュ障の奴」ではなく「慶応生で使えそうなイケメン」のほうが内定をもらうことがあっても、「日大でイケメンでコミュニケーション能力抜群」の方が内定をもらえる可能性はゼロです。

 

なぜならば、日大の時点でエントリーシートを見てもらえないからです。

 

いくら能力があっても見てもらえないことには始まりません。

バスケットボール選手やバレーボール選手、サッカーのゴールキーパーを強豪チームがセレクションする場合、「身長178cm以下の選手は応募しないでください」と但し書きが付いていたりしますが、その場合もアジリティーとか身体能力に関係なく「まずは身長が10割」なわけです。

 

「運動能力が抜群で183cm」のプレイヤーが「運動能力がそこそこで192cm」のプレーヤーに勝つことがあっても、「運動能力が死ぬほど高い175cm」のプレイヤーがセレクションに受かる事はないのです。

 

そもそも身長が足りていない時点でプレイを披露する機会がないわけですから。

不条理と言えば不条理ですがこれが社会というものです。

実際私も、Facebookで知らない人から申請が来たり知らない本を買うときに、職歴や資格、学歴でそもそも細かくチェックするかどうか前もって決めてます。

残念ながら社会には人も物も多すぎるが故に、「ひとつひとつ細かくチェックする」のには限界があるわけです。

「人は見た目が9割」と言うのは半分正しく、半分間違っています。

なぜならば、一番最初のフェーズにおいては、見た目や身長などが9割どころか10割だからです。

たしかに不条理と言えば不条理です。

しかし、社会がこのようになってる以上、文句を言っても仕方ありません。

現実的な処世術としては、

閾値(threshould)まで必死に努力する
or
自分が不利なファクターが露見しないように土俵を変える

この二択しかないと思います。

「人は見た目が9割」ではなく、「まずは人は見た目が10割」ですから。