Ojisanが哲学する

代官山在住のojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。京都大学法学部在学中に大手予備校で予備校講師をしていましたから、教育に興味があります。

国立受験

ひとつ前の投稿で、同志社大学について論じてきましたが、よくよく考えてみると大前提の話が抜けていたような気もします。

予備校業界で働いていた人間から見ると、国立大学が一校しか受験できないというのはもはや当たり前の前提ですが、この前提がよくわからないと前の投稿の意味が全くわからないような気がします。笑

京都大学に落ちて同志社大学に行く位なら、京都大学大阪大学を受験すればいいんじゃないですか?」と素朴な疑問をお持ちの方もいるでしょう。

しかし、受験制度上それはできないのです。

厳密には後期日程という別枠もありますが、東大京大一橋阪大などは後期日程がないので基本的には壱発勝負です。

スポーツのトーナメントのようにノックアウト方式ですから、受かるか受からないかの二択です。

ですから、国立大学プラス早慶は、中堅私立大学と違って個人レベルだとかなり学力的にはグラデーションになってきます。

つまり、一般的に上の大学と下の大学でも、個人レベルでは学力的に逆だったりすることがよくあるわけです。

例えば東京ですと、もちろん余裕で受かる人は東大文一(法学部)をまず受験します。

しかし、ボーダーラインの生徒は、
東大文一
東大文二or三(経済学部文学部)
一橋
あたりでかなり迷うわけです。

理系であれば

東大理一か東工大か、と迷うわけです。

ここで「国立大学は一つしか受けられない」のが東京証券取引所さながらの「駆け引き」を生み出すわけです。

「東大文一に出したい。

しかし、落ちたら早稲田慶応に行くことになる。

ギリギリ落ちて後悔する位なら、東大文二かまたは一橋か、関西に飛び京大にするか。

東大文一に落ちて早稲田政経or慶応法よりは、、、

『文二や京大一橋なら受かっていたかもしれない』なんて後で後悔したくないなぁ、、


Ah...


理系ならば、東大理一に挑戦してギリギリ足りずに早稲田慶応の理工学部に行くか、理二に落とすか、東工大に行くか、でまた迷うわけですね。(ただ、文系と違って理系の場合は、理一と東工大にはかなり差がある気がするので、むしろ「理一だめなら早慶理工」であまり迷いはないでしょう。というか東工大は配点的に完全に理系バカで受かってしまうので、一橋より東大との距離は感じます)

ここで、国立志望の大学受験生は、センター試験が終わった後、婚活女子の「この人でいいのかな」くらいの一生で最大かもしれない悩みを経験するわけです。

自分自身の経験でも指導経験でも、正直このランクになってくるともはや18歳の時の「ちょっとした差」でしかないと思ってるんですけど、「実力がありながら運悪く落ちて●●に進学した」というのは身近な友達にしかわかってもらえませんし、将来、初対面の人間にそんなこと自分で言ったら噴飯物です。

ここで悩みが出てくるわけです。

どれだけ東大や京大にギリギリ落ちて早稲田慶応(文系)に進学しても、ひょっとしたら因数分解も平方完成もできないような数学がまるでできないコテコテの「私文タイプ」と同類扱いされるわけです。

ひょっとしたらちょっと自分が下に見ていた一橋や阪大の出身者あたりに「●●さん、私立文系ですよね? 会計とかSPIとか数字弱いんじゃないですか?」とマウンティングされることもありうるわけです。

京都大にギリギリ落ちて同志社大学に進学しても、私のような予備校業界の人間とかかなりマニアックな人間じゃない限り、「同志社同志社」です。

ひょっとしたら自分がちょっと下に見ていた大阪大学神戸大学の学生や出身者にすら「所詮同志社やろww」と見られるわけですから、その立場の人は本当に辛いでしょう。

理想論を言えばどれだけくだらないとしても、やはり50歳、60歳になってもその身分は日本のホワイトカラー社会では不変ですから、非常に恨みがましくなるでしょう。

私立大学の場合、申し訳ないですが、「運悪く落ちる」ことがほぼないので、(遺伝や環境が悪いとかそのレベルで運が悪いのはともかくとして)実力がありながら落ちるなどということは原則ありません。

なぜならば私立大学は複数受けられるので、運悪く落ちるという事はありえないからです。

しかし、国立大学志望者に関しては、必ずしも在籍・出身大学と受験時の能力が正比例ではないので、自分の身分に不本意な人はいっぱいいるでしょう。

家庭環境のせいで浪人できないから東大ではなく確実に受かる一橋にしたとか、同じように京大ではなく阪大にしたとか。

こういうことがしばしば起きるからこそ、国立大学の学歴はあまりアテになりません。

そもそも制度として3つでも4つでも受けられるようにした方が受験生にとっても悔いが残らずいいと思うんですけど、でもこれはなかなか難しいのが、このように駆け引きがあるからこそ東大法学部とか東大医学部あたりに一極集中しないわけでもあります。

一橋の上位層は挑戦すれば東大に受かっていたかもしれないレベルですが、両方挑戦できるとなると、完全に落ちた人間だけが一橋に来ることになるので、東大とそれ以外の大学の格差がとてつもなく広がります。

関西の京都大学大阪大学の関係なども全く一緒です。

大阪大学には挑戦すれば京都大学に受かったようなレベルの学生はゴロゴロいます。

国立大学が一校しか受験できないからこそ、ある程度上位層はばらけることになるわけです。

「京大に万が一落ちて同志社に行く位なら、確実に受かる大阪大学にしよう」となるわけです。

ですから、メディアはやたらと東大を過大評価しますが、少なくとも東大の下の2割と早慶一橋の上位2割の学生は学力的にはほとんど変わりません。

「いや、それでも勝負に勝った人間が偉いんだ。結果が全てだ」という反論もあるでしょう。

それはそうです。

少なくとも経歴や履歴書においては「結果が全て」です。

しかし、私が申し上げたいのは、ここまでこのネタで話しておいて言うのもなんですけど、国立の最難関大学や早稲田慶応の上位層ぐらいになってくると、本当に「人による」としか言いようがないですし、東大とか京大が個人レベルでも圧倒的に優秀ということではありませんし、あまり色眼鏡で人を判断しない方が、自分にとってもメリットがあると思いますよ。(正直、京大の最下位レベルよりは早稲田慶応の最上位層のほうが学力は上ですし、仕事となったらまた全然基準が違うでしょう)

仕事にせよプライベートにせよ、あまり形式的なブランドにこだわると「本当に能力のある人間」を選び損なう可能性があるわけですから。

・・・じゃあ、なんでここまで長々とこのトピックについて論じたんだという話になりますが、その続きはまたいつか。笑