Ojisanが哲学する

代官山在住のojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。京都大学法学部在学中に大手予備校で予備校講師をしていましたから、教育に興味があります。

社会常識

世の中には「常識に囚われるな」という常識があります。笑

「そんなのは社会の常識ってだけ。みんなが言ってるから正しいとは限らないよ」、「常識から自由になれよ」としたり顔で語りたがる人は世の中にたくさんいます。

実際私もそのような趣旨の発言をする時もあります。

しかし、こういった発言をする人は根本のところで思想や思考力が浅いと私は思ってしまいます。

なぜならば、
社会は、ほとんどの人がほとんどのケースにおいて常識的な行動をしているから成り立っている
からです。

例えば、道路と乗り物を考えてみてもわかるでしょう。

「誰が、『青が進行』で、『赤が止まれ』と決めたのか? こんなものは常識に縛られている。私は赤が好きだから赤信号の時に進みたいと思う。それが私の自由だから」

こんな発言をする人が社会の多数派になったら社会は回りません。

これはなかなか思想的に深い話ですが、

人間は、不自由だからこそ自由になれるのです。

例えば、私は今、日本語の文法や修辞法に沿って文章を書いています。

日本語の文法に縛られて文章を書いています。

言ってみたら非常に「不自由」です。

では、今から私の自由に文章を書いてみましょう。

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渾身の力を込めて「自由に」書いてみました。笑

皆さんこの文章を読解できるでしょうか?

できるはずがありません。

一度日本語の文法や修辞法に縛られるからこそ、私と皆さんはコミュニケーションがとれるわけです。

上の道路規則もそうでしょう。

みんなが自由に車を運転したら非常に不自由な結果になります。

他にも具体例がいくらでも出てきます。

「結婚しない自由や子供を生まない自由も存在するべきだ。多様な価値観を認めよう」と言いたがる未婚女性や小梨女性はいますが、こんな価値観を認めてしまったらおよそ社会が崩壊します。

少子化により、自分が年老いた時に社会が崩壊して介護する人間もコンビニの店員もいなくなる。

これでは結局自分の首を絞めることになります。

社畜じゃなくて起業しようぜ。会社に縛られない生き方を」という意見も社会全体としては貫徹できるはずがありません。

なぜならば、どんな会社でも原理的に経営者だけしか存在しない会社などありえないでしょうから。

およそ社会的な営みは全てこのようになっています。

社会生活を営む以上、無制限の自由など認められるはずがない
のです。

それは表面的に人を刺すとか殴るとか、そういったレベルの危害だけが、「社会に対する危害」ではないのです。

社会はかなりの程度が常識によって回っており、常識的な思考を根底から覆そうとする人は、根本的に社会に対する考察が甘いと言わざるを得ません。

ロックやルソーの社会契約論に関しても、煎じ詰めて言えば、「一定程度不自由だからこそ人間は自由になれる」という透徹した思考が垣間見れます。






私から言わせると、社会の常識が嫌だったらロビンソン・クルーソーになればいいのです。



すべて自給自足で洋服も日常品も自分で作る生活をすれば別に自分の常識が社会常識ですから何の問題もないわけです。

でもそんなこと実際できないで「社会生活」を営んでいるわけでしょう?

だったら社会の常識や不条理についてある程度は受け入れないといけません。

それが社会人であるということです。

そしてそのことと私のような根本的に深く考えることは何の矛盾もしていません。

常識と自由を二項対立的に捉えてる時点で、あまりにも浅いと言わざるを得ません。

繰り返しますが、
人間は不自由だから自由になれる
のですから。