Ojisanが哲学する

代官山在住のojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。京都大学法学部在学中に大手予備校で予備校講師をしていましたから、教育に興味があります。

藤沢和希の教育論

私と兄弟のように言っていることが似ていると友人にからかわれる藤沢和希ですが、藤沢さんのおっしゃる通り、日本社会における大学入試の位置付けというのはなかなか重いものです。

 

高校2年生まで怠けていても、1年間死ぬ気でやって大学入試(学部入試)を突破すれば、「勝てば官軍」です。

 

そのためか、「受験産業」というのは広大なマーケットです。

 

1000億円単位の産業であるのは間違いないでしょう。

 

私も予備校講師のバイトを学部時代にしていたので、このマーケットの厳しさや裾野の広さはよくよくわかっています。

 

ところで、藤沢さんは、「大学入試が厳正に行われているお陰で、日本の中高の教育や受験産業は「真っ当な競争」が行われている」と言います。

 

大学と違い、中学・高校の価値は「いい大学に何人入れたか」で決まるので(まあ、それしか尺度がないのもどうかと思うのですが)、高校の競争や予備校の競争はなかなか「民主的」です。

 

「東大◉人」とか、関西なら「京大◉人」とか、極めて定量的な基準があるので、その実績さえ上げたらどんな高校も名門校になります。

 

灘や開成なども昔はしょぼい高校でしたし、洛南や巣鴨も全然無名高校でした。

 

昔は日比谷や戸山などの公立が「名門校」でした。

 

おそらく私が「日本一の高校」をお金を使って作れ、と言われたら可能でしょう。

 

浜学園サピックスの成績上位者にお金を払って来てもらうのです。

 

100人程度精鋭を集めて、教師は、スタディサプリの関先生や伊藤賀一先生、東進ハイスクールの林先生などの講師を年俸2億円で引き抜く。

 

カトウ学園(仮称)から東大や国立医学部の合格者は相次ぎ、10年後に偏差値は灘や開成を超えるでしょう。

 

「カトウ学園で試験に勝とう!」なんて寒いCMもできちゃったり。

 

実際コストに見合いませんが、理論上はこれは可能です。

 

なぜならば高校は最終学歴ではないので、東大に行けるならカトウ学園でもいい、という判断をする親は絶対出てくるからです。

 

(というか、だから日比谷から開成麻布などに勢力がうつったわけですから。高校の価値が大学のように固定的なら勢力の移動など起きません)

 

大学入試が公正で厳正がゆえに、中高の競争は極めて民主的で公正なのですよ。

 

しかし、これが大学になると話が全然違ってきます。

 

なぜならば、大学入学以降に「定量的で公正な競争」は一切なくなります。

 

それは個人レベルでも大学レベルでも。

 

あれだけ偏差値を気にしていた学生も、単位を落とそうが、留年しても全く意に介しません。

 

あれだけ子供の教育に関心があった親も、「担保物権大丈夫か? 抵当権は難しいからなあ。」、「政治思想は難しいから今度本屋で一緒に参考書探そう」とかそんな心配やフォローは一切ありません。(そもそも、中高の塾があれだけあるのに、なんで大学補習「塾」なんて全くないのだろうかw)

 

「東大生」や」「早大生」という「身分」はそれほどまでに強力なのです。

 

高校までなら「開成で怠けて早稲田に進学した学生」を「攻玉社で頑張って東大に進学した学生」が形式的に完全に追い抜けますが、早大受験に失敗して明治に進学した学生がどれだけ明治で「オール優」を揃えても、1000冊本を読んでも、早大生からしたら「どうせ明治だろ」です。

 

「勉強している明大生」の方が「不勉強な早大生」より評価されないのは「民主的」とは到底言えません。

 

後者のタイプがあぐらをかけてしまう日本社会は非常にいびつです。

 

これは結局、大学入学以降に公平な競争がないためでしょう。

 

大学を出る時に統一テストみたいなものがあれば学生も競争するでしょうが、現行制度では、大学生が頑張るモチベーションがあまりに湧きません。

 

起業も「4年間勉強した明大生」よりも「4年間怠けた東大生」を欲しがる訳で、ほとんど成績なんて見てないですから。

 

ちなみに、私は京大法だから別に損するサイドではないので個人的にはいいのですが、こういった競争がない仕組みだと、実は東大生や京大生などの受験の勝ち組にとっても好ましくありません。

 

例えば、筑駒や灘に入ってもみんな手綱を緩めないで鉄緑会に行くのは、筑駒生や灘中生という身分が所詮「途中経過」であり、「学歴」にはならないのがわかっているからです。

 

いくら名門中学に入っても東大に行かないと(学歴としては)意味がないからこそ競争が生まれます。

 

しかし、東大や京大に入って(特に文系で)必死に勉強している学生なんてほとんどいません。

 

それはもう事実上「東大卒」や「京大卒」という身分が手に入ることがわかっているからです。

 

これは「個人レベル」の話ですが、「大学レベル」でも同様です。

 

大学の序列というのは東大を頂点にこの100年(ほぼ)全く変わりません。

 

大京大国立医学部が最高ランクで、次に一橋や東工大で、次に早慶上智、次にマーチ関関同立という序列はどうやっても崩せません。

 

立命館大学日本大学でどれだけ魅力的な教育をやっていても、前述のカトウ学園のように人は来ません。

 

なぜならば、大学を評価する定量的で民主的な基準がないからです。

 

就職先で「三菱商事12人、電通8人!」なんてアピールすることも普通ありません。

 

そもそも、大学入試(一般入試)はどんな高校の生徒もどんな家庭環境でも、ペーパーテスト一本で「民主的」で「公正」な評価をされます。(まあ、本当に突き詰めていくと、家庭環境や遺伝とか加味したら公平でもないのですが、一応「形式的な平等」は担保されています。)

 

しかし、就活には同じことが言えませんから、無名高が「東大に10人入れました」とアピールするように Fラン大学が「三菱商事10人」なんてアピールして偏差値を上げる方法は大学にはないのです。

 

端的に言って、大学が頑張っても正当な評価をされることはないのです。

 

ですから、大学は基本的に私立大学でも「いい生徒を取ろう」、「来ていただこう」なんて精神は特に名門私大にはありません。(全くなくはないけど)

 

どうやっても早稲田や慶応が明治や立教より下に行くことはないわけですから、大学だって真剣に運営を考えるようなことはしません。

 

早慶の入試問題にしても、そりゃそこまで酷くはないですが、正直いまいちだなと思います。

 

物理的な制約を加味してもなお、もっといい問題は作れるでしょうが、所詮試験は相対評価ですので、どんな問題を出しても、まあそれなりの学生が来ますからねえ。

 

高校は開成も灘も実績が落ちたら一瞬で評価が下がりますが、大学はこのような評価基準がないので、東大も早慶も「左手うちわ」でしょう。

 

高校や予備校の努力に比べたら圧倒的に緩いですよ。

 

長々と述べてきましたが、言いたいことはシンプルで、「そもそも論」を言えば、大学入学以降の評価基準を明確にするべきです。

 

そして「現実」の話として言えば、大学入学以降には民主的な実力勝負はないですから、やはり一定以上の大学に行かないと都会では苦労しますよ、ってことですかね。

 

「実力」って曖昧ですから。