Ojisanが哲学する

代官山在住のojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。京都大学法学部在学中に大手予備校で予備校講師をしていましたから、教育に興味があります。

よく思われたい

最近ちょっとイラっとしたことがあったんですが、まぁその原因になった人間を仮に鈴木太郎としましょう。

鈴木は、自己顕示欲や承認欲求が非常に強く、「いい人に思われたい」という欲望が人一倍強い人です。

自己顕示欲があったり「いい人に思われたい」こと自体はきわめて真っ当ですし、私も実際そういった感情があるでしょう。

しかし、鈴木がちょっと気持ち悪いと思うのは、「不特定多数にいい人に思われたい」という欲望が強すぎて、逆に偽善者っぽいのです。

鈴木について「鈴木がこんなことを言っていた」とブログに引用しようとすると、「俺はこんなこと言ってないですよ。馬鹿にしてるわけじゃないし、ちゃんと言葉に気を遣って書いてますから、下手な引用はやめて下さい」と言われるのですが、これが私から見ると非常に気持ち悪いのです。

要するに、本当は特定の属性の人間を見下していたり馬鹿にしてるわけですが、ブログなどで不特定多数にできるだけよく思われたいから、そういった感情が全くないかのように活字に細心の注意を払っているわけです。

しかし私から言わせると、ここまでいい人だと思われたいと気を使ってること自体が逆に気持ち悪いのです。

皆さんも周りにそういう人っていると思いますけど、聖人君子ぶっているのがわかってしまうから気持ち悪いってありますよね。

本当に聖人君子ならいいのですが、そうではないですからね。

あくまでも「聖人君子であり人格者だと思われたい」からいい人ぶってるだけですから。

いい人ぶってるのかわからない位完璧に演じられているのなら良いのですが、いい人ぶってるのがわかる時点でアウトです。

自分で言うのもなんですが、私のブログを表面的に読んだら「こいつ性格悪いな」と思う方もいらっしゃるでしょうけど、逆に言えば私はかなりの程度本音で喋っています。

また、私は人並み以上に自己顕示欲も強いですし、人並みに特定の属性の人間を見下していますが、これも程度を超えない範囲においては極めて自然な感情だと開き直っています。

本音でしゃべった結果としてそのように思われるのであれば仕方ないと思ってます。

逆に認めてしまいます。

しかし、自己弁護のようですが、いい人ぶっているよりは100倍マシだと思っています。

「よく思われたい」ために自分の本音を隠していい人ぶるのは本当に気持ち悪いですし、逆にそれがわかってる時点で承認欲求を満たせないという意味では、実は自分にとっても最悪の戦法でもあるんですよね。

「いい人ぶってる」ではなく「本当にいい人」なら話は別ですが、世の中の「いい人」の9割は「いい人ぶってる人」でしかないです。

「よく思われたい」がいきすぎると、私のように人の深層心理や本質がすぐ見える人間から見ると非常に滑稽なのです。