Ojisanが哲学する

代官山在住のojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。京都大学法学部在学中に大手予備校で予備校講師をしていましたから、教育に興味があります。

どの入試方式で入ったか

昨日の藤沢かずきの話の続きですが。

日本は大学入学以降の評価基準が事実上存在していないので、入学試験が非常に大切だという話をしました。

ほんとの「そもそも論」を言えば、大学入学以降の学習や社会人になってからの伸びの方が大切ですが、現実にはそうなっていない以上、「大学入試のパフォーマンス」は特定の人物を評価する上で無視できません。

Facebookや本のプロフィール等でも「〇〇大学卒業」と書いてあっても、さすがに入学方式まで書いてありません。

しかし、昔と違って必ずしも一般入試で入っていない人が一定の割合を占める現代において、「どの形式でその大学に入ったのか」が実は問われるべきです。

例えば私の友人でも
早稲田大学政治経済学部政治学科卒業」という形式的な学歴が素晴らしい人がいますが、実は指定校推薦だったり実はAO入試だったり、結構「インチキ」のような輩が一定程度います。(余談ですが、私は個人的に早慶の付属高は認めてるんですよね。なぜなら中学受験や高校受験で高いパフォーマンスを示しているからです)

アメリカのように単位認定がきわめて厳格であれば、本来「入り方」なんてどうだっていいわけです。

出口の品質管理がしっかりしているわけですから。

しかし、日本のように出口の品質管理がザルの場合、事実上消極的な判断として入り方を気にせざるをえません。

企業も形式的な出身校を気にする割にはあまり「入り方」を気にしないのはちょっと判断基準が不明確です。

やはり、付属高と一般入試以外はちょっと「インチキ感」は否めないです。

国立大学でも、少数ですがインチキはあります。

90年から2000年ぐらいに受験した人なら、悪名高き「東大後期」や「京大経済論文」という事実上の裏口入学を知ってる人もいるでしょう。

あまりにも入ってくる人のレベルが低いので廃止されましたが、90年代にセンター試験が英語と国語と社会で、二次試験は小論文だけで決まるという、ありえない方式を東大の法学部と文学部で採用していました。

前期日程が本物の東大入試で、後期日程のこの入試形式は大ブーイングでしたけど、なぜか20年ほどやっていましたね。

この東大後期のレベルと言うのは端的に言うと、慶応法➕αくらいですから、理科も数学も一切やらなくて東大に入れたわけです。

また京大経済学部でも「論文入試」という事実上神戸大レベルの入試を30年ほどやっていました。

ですから私は「京大経済卒」と見た瞬間にフラグが立ってしまうんですよね。笑

経済学部の論文入試で入ることを京大では「ケーロン」と言いますが、「あいつケーロンやで」は当然褒め言葉ではなく侮辱です。

「裏口で京大に来た」と暗にほのめかしてるわけです。

裏口と言うと口が悪いようですが、例えばちょっと昔話になって高校時代の話とかになった時に、東大後期や京大経済論文のやつは、本当のことを話すとばれてしまうわけです。

京大経済論文はまだしも、東大後期組はそれがばれた瞬間に非常にバツの悪そうな顔をしますから、やはり自分がインチキをして入ったことを自分が一番わかってるわけでしょう。

そもそも東大や京大などの品質保証は文系でもかなり難しい数学をやり、7科目をそれなりにやり切ったことにあるわけですから、「理科も数学もやらないで裏口で入った」なんてばれてしまったらほとんど値打ちがないですから。

この手の入試形式の話は、私のような元予備校講師でもない限り普通知らないでしょう。

しかし、東大でも京大でも、通常課されているタスクをクリアせずに裏口で入ってる人間がいるということです。

いわんや早稲田や慶応といった私立大学では、本当に一般入試で表門から入ってきてる学生は7割程度しかいないのではないでしょうか。

まぁ繰り返しますけど、本当のそもそも論を言えば、入試なんて通過点で卒業や卒業の方が大切なわけですが、日本の教育システムを考えると、どうしても「入試の時の最高到達点」を気にしないわけにはいきません。

これを見てドキッとしている推薦AO組と(まさかたまたまいらっしゃらないと思いますが)東大後期や京大ケーロン組の方は、「一般入試組」に負けないように一生仕事能力や教養を高めることが、インチキへの「贖罪」だと思って努力しましょう。

本来「通過点」であるべき話ですから。