Ojisanが哲学する

代官山在住のojisanが、人間や社会について偉そうに論じています。京都大学法学部在学中に大手予備校で予備校講師をしていましたから、教育に興味があります。

なぜ受験教育ネタが多いのか

私の投稿をフォローしていただいている奇特な方なら一瞬で気づきますが、私は受験や教育のネタをぶっこむ人です。

なんで私が受験勉強のネタを頻繁に投下するのかと言えば、単純に興味があるからと言ってしまったらそれまでですが、私にとって受験勉強の話は「忘れられない元カノ」みたいなものなのです。笑

何度も言っていますが、私はかなり有名な予備校で教鞭をとっていましたので、基本的に人にものを教えるのは大好きです。

今でも無料でいいのでもう一度講義をしたいとすら思っています。

しかし、(これもまた嫌な言い方ですが)ある程度以上の社会的レイヤーの人にとって、予備校講師とか受験産業、教員というのは、「ワロスな仕事」でしかありません。

基本的には何かしら人生に挫折した人が嫌々やるのが教員なり受験産業の仕事です。

林修も自虐的に予備校講師を馬鹿にしていますが、まぁそれが普通といえば普通です。

いくら私が好きでやってると言い張っても、やはり人に笑われるような仕事はできません。

ですから結局新卒で学校の教員や予備校講師にはならなかったわけですけど、今でも未練はあるわけですね。

やはり思春期の青年にとって、受験勉強なり先生って非常に影響力がある存在ですから。

皆さんも受験生時代に予備校に通っていたりしたら、代ゼミの富田や西、西谷とか印象深い先生っていると思うんですよ。

自分もこのようになりたいと思って非常勤講師をやっていたわけですから、思い入れはなかなか強いです。

それでも結局仕事にはしなかったわけですが、「元カノ」のように気になってしまうわけです。

ですから現実的に今後も予備校講師をやる事はないでしょうが、自分はその手の情報を提供する能力に関して圧倒的に自信がありますし、そもそも好きですから、このブログでどんどん提供していきたいわけです。

今後人工知能の発達により、たしかに処理能力や記憶力といった従来の受験勉強的な能力は時代遅れのものになるかもしれません。

そしてそもそも学歴や受験勉強の価値も相対的に低くなっていくかもしれません。

正直その未来図も十分に予想しています。

しかし、その一方で、私は若者が通過儀礼として必死に目標に向かって努力するのを見るのが好きなのです。

たしかに、日本の受験勉強は相対評価ですからほとんどの受験生はハッピーエンドではないかもしれません。

しかし、それでも結果を出そうと必死に努力することが社会人としての準備として非常に意味があるものだと思ってしまいます。

最近では遺伝の研究等により、そもそも努力できること自体が才能であるというみもふたもない事実が明らかになってきました。

これは私の肌感覚にもぴったり合います。

やはり知能も努力する才能も平等に与えられていません。

しかし、それでも自分の器の中で必死に努力することに意味があるような気がするのです。

ですから、結果としての進学先などにさしたる意味などありません。

自分の中で自分の器の中で最高にやり切ったと思えることが大切なのです。

ですから、若者がスポーツや勉強で努力することにはとても意味あることだと私は思っています。

これからひょっとしたら時代遅れになるかもしれませんが、やはり人生は困難の連続です。

どれだけ恵まれている人間でも辛い瞬間がないはずがないでしょう。

そういった苦難を乗り越えるよすがとして、私は部活動や受験勉強等に多大な意味があると思っています。

また、人工知能の対等によってそもそもパラダイムが変わるかもしれませんが、少なくとも現在のパラダイムにおいて、受験勉強で身に付く論理思考なり表現力なり記憶力なりはホワイトカラーの仕事をする上で非常に有意義なものだと思っています。

ですから、ぜひ受験生や子育てをされている親御さんなどに役に立つ情報を提供したいですね。

和田秀樹とか尾木ママのようなイメージでしょうか。

興味がある人はぜひご覧になってください。